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平城京の新発見 [歴史]

奈良県大和郡山市で、平城京(710~784年)に関する新しい発見があった。これにより、これまで知られていた歴史の一部が修正されることになった。(最近、こういう新たな発見による歴史の修正が相次いでいる。)修正されるのは、平城京の大きさについてである。

大和郡山市の下三橋遺跡で、碁盤の目状に区画整理された奈良時代初頭(8世紀初め)の道路遺構が見つかった。方角や道幅が京内の都市計画「条坊制」と一致しており、造営当初の平城京がこれまで考えられていた東西4.3km、南北4.8kmより少なくとも南に約400m広かったことが分かった。これにより、明治時代から約100年間通説となっていた平城京の復元図を書き換えることになった。

また、京の外郭を区切る城壁・羅城跡も日本で初めて確認された。尚、土器などから、道路は藤原京(694~710年、奈良県橿原市)から遷都して約20年後、意図的に埋められたらしい。(理由は不明。)

平城京は大規模な都市計画によって作られた大規模な都であり、日本史においてその位置づけは重要なものである。これにより規模も平安京(東西4.6km、南北5.3km)にほぼ匹敵する大きさであったことになる。(「一回り小振り」だったのが、「僅かに小さい」に修正される。)最盛期の人口は約20万人とされているが、この数字もひょっとしたら上方修正されることになるかもしれない。

いままでよりも一回り大きいことが分かった古都・平城京。今までに知られていなかった新たなドラマの発見にも期待したくなってしまう。そんな歴史ロマンを感じさせてくれる発見である。



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