ケータイ刑事銭形泪4話[裏ネタ編]PART 2 [ケータイ刑事]
今回の「銭形泪・裏ネタ編」は、1st.4話「舞台の上で死ねれば本望だ! ~劇団ちからわざ俳優殺人事件」の2回目となります。今回は劇中に出てきた言葉からネタになるものを拾うことにしました。で、「ビンタ」について、「猪木」について記すことにします。尚、約2年半前のBS-iでの再放送時に記した本編について記した記事は「ここをクリック」してご覧下さい。
「ビンタ」:他人の頬を掌で打つことを言う。「平手打ち」と同義語である。英語では「slap」。
他人に対する暴力行為であるが、小節を握って殴るパンチと違って、行う方も拳を痛める心配がなく、相手に対してのダメージもあまり大きくない。ということで、よく見られる行為である。但し、ビンタもやり方によっては、相手の鼓膜に損傷を与える危険性がある。
ダメージが少ないことから、教育的な意味(お仕置き、体罰など)で使われることも珍しくない。(「愛の鞭」という言葉が使われますね。)しかし、教育現場では「暴力教師」として取り上げられることの方が多く、相手が自動であった場合は児童虐待とも言われかねず、近年ではあまり行われなくなっている。
スポーツの世界では、気合いを入れるために行われる場合がある。(特に、後述する「猪木」が有名である。)プロレスでは、観客にアピールする場合などでビンタの打ち合いというのがよく見られる。相撲では「ビンタ」と言わずに「張り手」と言う。
尚、「平手打ち」が「ビンタ」というように言われるが、「ビンタ」は「頭部」を意味する鹿児島弁から来ていて、頭部を打つ懲罰行為が「ビンタ」と誤解されて広がったものである。
「猪木」:言うまでも無く、元プロレスラーであり、元参議院議員のアントニオ猪木のことである。気合いを入れるということで、「ビンタ」をすることで有名である。(「闘魂ビンタ」)1943年、神奈川県出身。
1960年にレスラーとしてリング・デビューし、現役引退をしたのは1998年(もう10年にもなるのですね。)参議院議員としては1989年に比例区で当選、1期6年間、議員を務めた。
ブラジルに移住し、そこで力道山に見出され、スカウトされて日本プロレスに入団。1960年9月30日にデビューする。(大木金太郎戦、負け)1964年にアメリカに武者修行に行き、1966年に帰国。一時、東京プロレスの旗揚げに参加してエース格となるが、3ヶ月で崩壊、日本プロレスに復帰。1971年に日本プロレスから追放され、翌1972年に新日本プロレスを旗揚げ。ストロングスタイルのプロレスを追求していく。また、異種格闘技戦として、極真空手のウィリー・ウイリアムスと戦ったり、ボクシングのモハメド・アリとの戦いは有名である。
1983年、世界統一タイトルを目指してIWGPを立ち上げるが、優勝戦でハルク・ホーガンにKO負けを喫した。その後、新日本プロレス内部でのゴタゴタなどがあり、長州力の反乱など、色々と話題を作っての興行が続いた。
1989年、参議院議員となるが、引退はせず、議員とレスラーの二足のわらじを履きつづけた。この中では、湾岸戦争前夜、イラクで行ったイベント「スポーツと平和の祭典」では、人質状態にあった在留日本人と全人質の解放に貢献した。また、1995年には北朝鮮で「スポーツと平和の祭典」を行っている。→政治家としては、スポーツを通じての外交で、実績を上げている。
1994年からは、レスラーとして引退の布石となる「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まる。引退試合は1998年4月4日の東京ドームで、ドン・フライと対戦し、勝利して引退した。
レスラー引退後はいくつかの団体の旗揚げなどに力を貸し、格闘技のプロデュースを中心に活動していたが、絶縁状態になったり、興行の失敗もあって、現在はプロデューサとしては活動していない。
得意技は、コブラツイスト、卍固め、延髄斬りなどがあり、また、アリとの対戦で出したアリキックは有名である。
「燃える闘魂」というキャッチフレーズと、テーマ曲である『炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~』もお馴染みである。
「闘魂ビンタ」の他にも「アゴ」でも有名である。パフォーマンスとしては「1! 2! 3! ダーッ!」や「元気ですかっ!」という言葉が有名である。
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