ケータイ刑事銭形海8話[裏ネタ編]PART 5 [ケータイ刑事]
「銭形海」の第8話「BS初! ついに舞台だ! ~超豪華!演劇者殺人事件・事件編」の裏ネタ編・増補の4回目となる今回は、この物語の登場人物であって会場で殺された四谷幸喜のモデルである「三谷幸喜」についてと「東京サンシャインボーイズ」について、そしてしじみ慶太のモデルである「浅利慶太」についてと「劇団四季」について記します。尚、「三谷幸喜」と「浅利慶太」は「海・8話[裏ネタ編]」で記したものをベースにて、それぞれ加筆しました。
また、この物語について過去に記した記事(MBS放送時に記した[改訂版])は「ここをクリック」してご覧下さい。BS-i(当時)での本放送時に記した記事へのリンクもあります。また、この物語についての過去に記した裏ネタ編は2008/5/25付です。
「三谷幸喜」:1961年生まれ。現在は劇作家、脚本家、放送作家、演出家、俳優、映画監督として活動を行っている。
日芸在学中の1983年に「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げした。この時には「一橋壮太朗」の名前で俳優としても活動をしていた。(劇団旗揚げ時には、一人で多くの役を務めるのは当たり前です。)また、劇団活動と並行して、TVのバラエティ番組(『アイアイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』など、いずれもが一世を風靡した番組である。)で番組構成を担当して、放送作家としての活動も行う。更に、「サザエさん」をはじめ、脚本家としての活動もある。(但し、「サザエさん」に関しては、内容がプロデューサの逆鱗に触れて降板させられたという逸話もある。)
彼の感性による独特の演出で人気を得て、「東京サンシャインボーイズ」は人気劇団へとなり、'90'sをリードする劇団へとなった。しかし、彼自身は劇団に息詰まりを感じるようになり、1994年の「東京サンシャインボーイズの罠」の公演を最後に30年間の充電期間に突入した。(「解散」ではなく、あくまでも「充電期間」である。2024年に復活公演が予定されていたが、2009年3月に復活予定の作品となっていた「老境サンシャインボーイズの『リア玉』」の上演予定だった新宿THEATER/TOPSが閉館することになったため、2024年まで待たずに、東京サンシャインボーイズの新作公演として「returns」を上演するために一時的に復活して公演を行った。この公演後は再び「充電期間」に突入し、その終演後に戸田恵子のアナウンスで「これより15年間の休憩に入ります……」との言葉が流れた。)
'90年代になると、脚本家としていくつかのドラマで脚本を書くようになって、人気を得る。そして1994年にはヒットした「古畑任三郎」の脚本を執筆して、人気脚本家となる。以後、次々とヒット・ドラマを手掛けている。
1997年には「ラヂオの時間」で映画監督としてもデビューし、それが評価されて、いくつかの賞を受賞したことで、映画監督としての名声も得て、以後、時々映画監督としての作品の発表も行っている。
2000年代になっても益々精力的に活動を行い、2004年のNHKの大河ドラマ「新撰組!」の脚本を担当したことは話題となった。
2011年は50歳になると言うこと(誕生日は7/8である。)で、例年以上に精力的に活動をしていて、最新監督作品である映画「ステキな金縛り」が劇場公開になったところである。
「東京サンシャインボーイズ」:1983年に、当時、日本大学芸術学部に在籍していた三谷幸喜を中心に旗揚げされた劇団である。現在は「充電期間」と称して活動停止状態になっているが、あくまでも「充電期間」と称していて、解散はしていない。
活動は1983年から1994年にかけてと、2009年に一時的な活動再開があって、次回作は2024年の予定となっている。(だから、現在は「充電期間」なのである。)
池袋を中心に活動をする小劇団の一つであったが、三谷幸喜の独特の感性による脚本と演出によって評判を呼び、洗練された喜劇を中心とするスタイルが人気を得ていくことになる。また、小劇場で活動していたこともあって、「チケットのとれない劇団」と言われるような人気劇団に成長する。
人気を集め、順調な活動が続いていたと思われたが、三谷自体は行き詰まりを感じていて、1994年の「東京サンシャインボーイズの罠」の公演を最後にして、30年間の充電期間に突入した。そしてこの時に、次回公演は2024年で、新作の「老境サンシャインボーイズの『リア玉』」を上演すると発表されている。しかし、2009年3月に、2024年になって「老境サンシャインボーイズの『リア玉』」を上演予定だった劇場(THEATER/TOPS)が閉館することになったため、急遽活動を再開して、新作である「returns」をその劇場の最終公演作品として上演した。(但し、その終演後に「15年間の休憩に入る」という言葉が流れ、2024年までの充電期間に戻った。)
三谷幸喜は様々な作品で活躍を続けているが、彼以外にも、西村雅彦、梶原善、相島一之、甲本雅裕、伊藤俊人、小林隆、阿南健治、小原雅人、宮地雅子、松重豊、たちという俳優が所属していて、最近では俳優として人気を得て活動を続けている人もいる。
「浅利慶太」:1933年生まれ。現在は劇団四季の運営管理会社の社長でもあるが、日本を代表する演出家として知られている。
1953年に劇団四季の創設者の一人として劇団四季を旗揚げし、日本での商業公演の先駆者的な劇団へと発展させる。(尚、1967年に劇団四季はプロ化している。)特に1979年の「コーラスライン」のヒットがきっかけとなって、ミュージカル作品中心の劇団へと変わり、専用劇場を持ってロングラン公演を行うという現在のスタイルを確立させた。
劇団四季の上演作品の演出を手掛け、それらが大ヒットしたこともあって、日本を代表する演出家として知られるようになったが、実業家としての才覚も発揮して、劇団四季の運営・管理のマネージメントの方でも新たなスタイルを確立させて、劇団四季を日本を代表する大劇団に成長させた。(現在は、芸術総監督の肩書きも持っている社長となっている。)
「劇団四季」:現在は日本で最大規模を誇る劇団であり、「コーラスライン」「CATS」「オペラ座の怪人」などのミュージカルのビッグ・ヒット作品で知られている日本を代表する劇団である。
創設は1953年で、当時は大学生だった浅利慶太、日下武史たちを中心として結成された学生演劇集団であった。当初はストレートプレイ専門の劇団であって、ミュージカルを上演していた訳ではなかった。学生劇団から職業劇団へと変化していって、1967年に株式会社となってプロの劇団へと衣替えを果たす。また、上演作品の方も高水準のものを目指していって、安定するように成る。
大きく変わったのは、1971年に上演した越路吹雪主演のミュージカル「アプローズ」のヒットによってであって、ここから現在のスタイルであるミュージカルを中心に工業を行うように成る。そして、1979年のミュージカル「コーラスライン」の大ヒットによって人気劇団と成。また、「コーラスライン」のヒットは公演スタイルにも変化をさせるきっかけとなって、専用劇場を持って、そこで面グラン公演を行うというスタイルを見出し、1993年の「CATS」がこのスタイルを用いて大成功をする。
更に、専用劇場でのロングラン上演は、劇団の年間の上演回数を大幅に増やすことになって、より大きなヒットに繋がることになった。
現在は、東京、横浜、名古屋、大阪、北海道に専用劇場を持ち、年間の上演回数も3000回を越えるようになっていて、ミュージカル作品を中心にして、大々的な興行を行っている日本を代表する大劇団になっている。(言うまでも無く、海外公演も行っている。)
所属する俳優の数も多く、その人たちは舞台活動にほぼ専念する形で俳優活動を行っているが、かつて所属していた俳優たちの中には、現在ではテレビや映画を中心に活動をしている人、声優として活動する人も数多い。
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