ケータイ刑事銭形舞2話[裏ネタ編]PART 2 [ケータイ刑事]
「銭形舞[裏ネタ編]」の増補を行っているが、今回からは第2話の「アモーレ! ~イタリア語教室殺人事件」に突入です。今回は、サブタイトルにある言葉から「イタリア語」について、この物語でこれを行っている時に事件が起こった「リスニング」について、そして後白河が以前はこれだったという「オペラ歌手」について記します。
また、この物語について記した記事は「ここをクリック」してご覧下さい。
「イタリア語」:英語では「Italian」もイタリア語では「Italiano」という。イタリアを中心に使用されている言語である。言語学ではインド・ヨーロッパ語族のイタリック語派(オスク・ウンブリア語群とラテン・ファリスク語群がある。)に属するロマンス語(ラテン語を起源とする言語)である。母語話者人口は約6100万人である。(イタリアの人口が6000万弱なので、殆どがイタリアで使われていることになる。)世界の人口の9%程度ということで、母語話者人口の数では20番目ぐらいとなるが、第二言語として話す人を加えると、2倍の1.2億人ぐらいになる。また、方言が比較的多いと言う特徴がある。
公用語とされている国は、イタリア、サンマリノ、スイスである。(ローマ市内にあるバチカン市国でも使用されているが、バチカンの公用語はラテン語である。)
使用される文字はアルファベットの26文字であるが、「K、J、X、Y」は人名、地名の固有名詞と方言、外来語の時に使用され、「W」は外来語でのみ使用しているので、通常は21文字で構成されていることになる。
歴史を紐解くと、イタリアにはローマ帝国が存在し、世界の中心となっていた時代があるが、そこで使われていたのがラテン語である。で、ローマ帝国の拡大はラテン語圏を拡大していくことになったが、ローマ帝国の分裂によって、ラテン語の方言化が進み、この時に現在のイタリア語の元になる古イタリア語が生まれた。(10世紀までの年代に成立。)ルネサンス期にイタリア人共通の言語を作ろうとして、中央イタリア語であったトスカーナ方言に、南部のナポリ語とシチリア語の語彙を取り入れた言葉で変遷されて、この言葉が現在のイタリア語と呼ばれるものとして誕生した。1861年に成立したイタリア王国では、そのイタリア語を公用語として採用した。
日本語の中で、イタリア語だったものとしては音楽用語や料理用語に比較的多い。例えば、インフルエンザ、オペラ、カジノ、ゲットー、ゼロ、ソロ、テンポ、トトカルチョ、パパラッチ、ブラヴォー、プリマ・ドンナ、マフィア、マニフェスト、モットー、などがある。逆に日本語がイタリア語になった言葉は日本独特のものが多いが、ローマ字綴りではなく、イタリア語の綴りに置き換わる傾向がある。例えば「柿」は「cachi」、「着物」は「chimono」、「芸者」は「gheiscia」などである。
「リスニング」:英語では「Listening」、聴き取りのことであり、語学学習に於いては聴き取り能力テストのことを指す。以前は「ヒアリング」と呼ばれていたが、現在では「リスニング」と呼ばれるようになった。→「ヒアリング(Hearing)」は公聴会、聴聞会、意見聴取などを意味する単語であったことと、「聴き取り」の意味としては日本語独自のもの(=和製英語)であったことから、使用しないように改められた。
「オペラ歌手」:文字通り、オペラを歌う歌手のことである。「オペラ」とは、舞台演劇の一つであるが、演劇と異なるのは台詞を主に歌としていて、演者がそれを歌う形で進められていくものである。また、楽団はオーケストラ編成となっているのが一般的であり、この辺りがミュージカルとは異なることろである。
オペラに於ける歌唱方法は、「レチタティーヴォ(朗唱)」と呼ばれるものと、「アリア(詠唱)」「アンサンブル(重唱)」「合唱」等がある。前者の「レチタティーヴォ(朗唱)」は朗読に近い抑揚で歌われるものであり、普通の台詞に近いものであるが、後者は歌唱するということが特徴となっていて、一般的なオペラのイメージはこれである。
また、歌手の声域の違いによって、いくつかに分けられる。男性歌手では、声域が低い順にバス、バスバリトン、バリトン、テノール、カウンターテノールの5つがあり、女性歌手では、声域が低い順にアルトまたはコントラルト、メゾソプラノ、ソプラノの3つに分類される。(男性歌手を3つに分ける場合は、バス、バリトン、テノールの3つとなる。)
この物語に登場した後白河はバリトンだったが、「バリトン」は男性歌手の場合では中域ということになり、最もポピュラーな声域を持つ歌手ということになる。(オペラやクラシックの世界でもバリトンの声域の歌手は多いのだが、ポピュラー音楽に目を移すと、男性歌手の殆どがバリトンの音域を持っているのが現状である。)
ただ、どの声域であっても、この物語で使われたトリックが成功するとは考えにくい所があるのですけどね...(まあ、「ケータイ刑事」らしい発想ではありますけど...)
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「KAFKA」 [映画(洋画)]
表題の作品は1991年のアメリカ映画「KAFKA 迷宮の悪夢」である。有名な作家カフカを主人公とした物語であるが、彼の書いた小説とは関係なく、悪夢の世界を描いたものである。そのため、カフカについての予備知識は不要である。映像表現なども素晴らしいのだが、今一つ、何が言いたいのかが分からないというのが...
作品データを記しておくと、時間は99分、パートカラー作品である。(クライマックスの一部のみカラー。)監督はスティーヴン・ソダーバーグ、脚本はレム・ドブス、撮影はウォルト・ロイド、音楽はクリフ・マルティネスである。そして出演は、ジェレミー・アイアンズ、テレサ・ラッセル、アレック・ギネス、イアン・ホルム、アーミン・ミューラー・スタール、ジョエル・グレイ、ジェローン・クラッベ、たちである。
1919年のプラハ。カフカは、昼は事務員として働き、夜は小説を書くという日々を過ごしていた。ある日、同僚のエデュアルドが失踪し、その調査を始める。が、エデュアルドの恋人・ガブリエラはそんな男は知らないと言う。そんな中、エデュアルドの溺死体が発見され、警察で確認したカフカ。警察は自殺として処理をするが、納得できないカフカは、更に調べることにした。ガブリエラの紹介でアナーキストの地下集会に参加したカフカは、プラハの丘にある謎の城が関係していることを知る。やがて、その城では恐るべき実験がマッドサイエンティスト・ムルナウ博士によって行われていて...
パートカラー作品ということで、これを使った演出、J・アイアンズの無機的な演技については良いのだが、ストーリー展開が今一つ冴えないまま物語が進んで行く。また、物語の進行が機械的に進んで行くということで、官僚的な存在を語ろうとするのは分かるが、一工夫欲しい所であった。
「セックスと嘘とビデオテープ」でデビューしたS・ソダーバーグ監督ということ、また、キャストが一癖も二癖もある顔ぶれが揃っているということで期待したら、ハズレを掴まされることになる。(「セックスと嘘とビデオテープ」は特別だったと思えばいい。)今では巨匠として知られているが、本作の様な失敗作と呼べる作品があったから今日の座がある、ということでしょうね。
尚、タイトルから、作家・カフカの半生を描いた作品とか、ホラー映画という印象を受けるが、消化不良を起こすサスペンスである。で、主人公のように、最終的には本作のことを忘れて元の生活に戻るのがよろしいかと...(シニカルに考えれば、面白い所に落ち着く、というオチですかね...この作品は...)
ケータイ刑事銭形泪28話(2nd.15話)[裏ネタ編]PART 1 [ケータイ刑事]
今回からの「銭形泪[裏ネタ編]」は、通算で第28話となる2nd.15話に突入です。と言っても、この物語は前後編となった物語の後編であるので、全話の物語が続いているという所もありますが...
で、2nd.15話「BS初のミュージカル!! ~歌って踊って殺人事件(後編)」の初回となる今回は、「後編」ということで冒頭に「前回のおさらい」があったが、「おさらい」についてと、泪ちゃんが嘘泣きとして口にした「うれし泣き」について、カメラ目線で口にした「釈然」について、泪ちゃんがこれにされそうになった「生贄」について記します。
尚、約3年前のBS-iでの再放送時に記した本編について記した記事は「ここをクリック」してご覧下さい。
「おさらい」:学習したことを繰り返して学ぶこと、または練習すること、すなわち復習のことをいう。英語では「Review」または「Revise」という。また、「復習する」を「Go Over」または「Run Over」と言う。また、漢字表記をすると「御浚い」(または「お浚い」)と記す。
学習したことを再び学ぶということから、「過去を振り返る」という意味に転用することになり、前後編の「後編」の本編が始まる前に「前編」の内容を振り返ったり、連続ストーリーの作品の最初に前回までの内容を振り返ること、すなわち「あらすじ」を振り返ることを「おさらい」と言う様になった。
ちなみに「あらすじ」とは、漢字表記すると「粗筋」、英語では「Outline」と言うが、「概略」「あらましの筋道」「梗概(こうがい)」のことである。
尚、連続ドラマの場合、「おさらい」が冒頭にあるというものは珍しいことではないが、中にはその「おさらい」の部分がやけに長いものがある。(本編時間の1割を超えるというものもある。)が、そういう作品は作り方が下手というだけであって、時間の浪費でしかない。(こういうことで時間を稼いでいる、というこそくな手段ということも出来る。)まあ、「ケータイ刑事」では1話完結ではない物語は殆ど無いとはいうものの、「おさらい」の時間配分もまあ妥当な所である。(やはり長くても本編の5%以内で、1分程度にまとめるべきである。)
「うれし泣き」:嬉しさのあまりに泣くことを言う。英語では「Cry for Joy」または「Weep for Joyと言う。(女性のデータであるが、感情によって泣く場合、悲しみが5割、喜びが2割、怒りが1割、その他(同情、恐怖、その他)が2割という。)特に、スポーツの世界に於いて、苦戦した末に優勝を決めた選手がこれをするというのは、よく見られることである。
「泣く」という行為は、精神的に辛いことを受けた場合や、肉体的な刺激(例えば怪我による痛みなど)に耐えきれずに行う行為である。(声を出す/出さないには関係なく、涙を流す行為である。→英語では「声を出して泣く」ことほ「Cry」、「声を出さずに涙を流す」ことを「Weep」と言うように使い分けされるが、日本語では使い分けはなく、「泣く」と言う。)特に、前者によって泣く場合は、感情によって泣くことであって、数多い動物の中でも人間にだけ見られるものである。(涙を流して泣く動物は人間以外にもいる。)何故、感情によって泣くのかということは、医学的にも研究されているが、はっきりと解明されていない。→一応、感情の違いによって分泌される成分が異なるそうである。
尚、「涙を流す」という行為は、何も泣く時だけに行われているものではなく、通常でも行われている。それは眼球の表面を潤すためであって、角膜に酸素や栄養分を供給すること、最近が眼の中に入らないように保護するためである。但し、これらの眼球のために供給される涙と、感情によって泣く場合に流れる涙とは成分が異なっている。
「釈然」:疑い、迷い、恨みなどが解けて、心がさっぱりすることを言う。が、この言葉を使う場合は、普通は否定語が入った形で「釈然としない」という使い方がされる。
この物語でも泪ちゃんは「釈然としない」と言っていたが、これは「納得できない」「心の整理が付かない」という意味になる。英語でも「Cannot understand」とか「Be not satisfied with」と言うように、否定語が入った言葉として使われるのが一般的である。→納得できた、さっぱりしたというような「満足した」という意味だったら、取り立ててその意思を伝えなくても、事はそれで終息するが、まだ納得できないのに、事をそこで終わらせようとするから、不満の気持ちを伝えようとするのである。特に泪ちゃんの用に謎を解いていこうとする立場に入ると、納得できないことが心に残っていると、それが気になるものですから...→何でもかんでも完全に納得できるまで突き詰めていくとなると、それこそ時間がいくらあっても足りなくなってしまいますけど...
まあ、だからこそ言葉というのは非常に難しく、まただからこそ面白いところでもあるのですけどね...
「生贄」:生きたまま贄(にえ:神に供えたり、朝廷や王に捧げるもののことをいう。「もの」であるが、一般的には魚や鳥、家畜などの生物である。)として神に捧げる生きもののことを言う。(ここで言う「生きもの」は人間を含んでいる。)
英語では「Sacrifice」「Offering」「Victim」などの言い方がある。また、宗教によっては特別な名称で呼んでいたこともあった。
尚、日本語で「犠牲」という言葉があるが、元々この言葉は「生贄」という意味であった。身命を捧げて身替わりとなり、神を鎮め、他人のために尽くすという生贄の果たした行為のことも指す言葉となった。それから後に、自分の意思によらずに災害、戦争、事故などに巻き込まれて命を落とすことほ指す意味が生まれた。
古代から、災いが起こると、それは神の怒りと考えられていたため、災いを取り除くには神の気を鎮めることが必要で、そのために神に供え物を行う、という行為は洋の東西を問わず、どこでも一般的に行われていたことである。また、王や朝廷も神と同等のものと認識されていたので、捧げ物を差し出すと言うことも一般的なことであった。
また、一部の宗教では、災いを鎮めることに関係なく、神に願い事を叶えて欲しい時に生贄を捧げて祈る、ということが行われてきた。
基本的には家畜として飼っている動物や、狩猟で得た動物、または魚などが用いられる。生きたまま供えて、儀式を行ってその場で殺し、心臓などを取り出し、また血を使うということは一般的なこととして行われていた。また、その延長線上で、生きたままの人間を生贄として使うということも行われていた。(この場合、生贄となる人のことを「人身御供」または「人柱」と呼ばれる。)
人間が人身御供として生贄になったものも世界各地に見られていて、日本でも「魏志倭人伝」に、邪馬台国で女王卑弥呼が死んだ時に100人以上が用いられた記述があったり、茨田堤の人柱、諏訪大社の御柱、倭文神社の大蛇伝説などに見られる。また、中国でも幾つもその例はあって、人型(馬の形をしたものも同様)をした埴輪を墓地に埋葬するのは殉死者の代わりとされたものである。
また、中南米では、アステカ、インカ、マヤなどでは人間を生贄にすることが行われていて、アステカでは人間の新鮮な心臓を神殿に捧げるのは日常的に行われていたことであった。(雨乞いでも同様であった。)
インカでは生贄となる人を保護して、神への供物として一定年齢に達するまでは大切に育てられていたという記録がある。(一定年齢に達して、生贄から外されて普通の生活をするようになった人というのも当然いる。)
尚、人間を生贄として神に捧げるのは、生きものには全て霊魂が宿っているという考えがある所では当たり前の用に行われている。色んな生きものがいるが、人間の霊魂が生き物の霊魂の中でも齊城のものであり、人間を捧げることが神に対する最上級の奉仕という考えがあったためである。古代では、近くの国々であれば交流があったものの、南米とアジアというような距離があれば、交流はない。が、そういう交流の無かった隔たれた所にあった古代王国の間で、同じように人間を生贄としていた歴史があるというのは、なかなか興味深いところである。
ちなみに、現在、人身御供として人間を生贄にするという行為を行えば、当然のことながら殺人罪が適用されるのは言うまでもない。(人身御供に直接手を下した人は言うまでもないが、おそらく、その儀式に参加した人は、幇助をふくめて何らかの罪に問われることになるでしょうね。)
↓参考まで
マヤ・アステカ・インカ文化数学ミステリー―生贄と暦と記数法の謎 (世界数学遺産ミステリー)
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↓「反復学習」という意味で、こういうものも拾っておきます。
世界史のおさらい―歴史の始まりから産業革命まで (おとなの楽習)
- 作者: 土屋 彰久
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