「THE LEGACY」 [映画(洋画)]
表題の作品は1978年の英米合作映画「レガシー」である。'70'sはオカルト映画がちょっとしたブームになっていたが、そんな頃に製作されたオカルト映画である。「卒業」のK・ロス主演であり、彼女は本作で共演したS・エリオットと後に結婚することになった。また、監督は、後に「スターウォーズ ジェダイの復讐」の監督を務めることになるR・マーカンドである。
作品データを記しておくと、時間は102分、原作はジミー・サングスター、監督はリチャード・マーカンド、脚本はジミー・サングスター、ポール・ホイーラー、パトリック・ティリーの3人、撮影はディック・ブッシュ、音楽はマイケル・J・ルイスである。そして出演は、キャサリン・ロス、サム・エリオット、ジョン・スタンディング、イアン・ホッグ、ロジャー・ダルトリー、ヒルデガード・ニール、マーガレット・タイザック、チャールズ・グレイ、たちである。
ロンドンの郊外にあるある豪邸に招かれたアメリカ人カップル。彼らの他にも招待客がいた。やがて、その屋敷の謎の主人によって、一同は軟禁状態になり、招待客たちは1人、また1人と殺されていく。それらは全て、4世紀も前に火あぶりの刑に処せられた女性が、自分の霊魂の相続人としてある女性を選ぶためのものであった...
かつてのハマー・プロの名作と言われるホラー作品群を産んだJ・サングスター原作ということで、往年のハマー・プロのテイストを意識した作品となっているのたが、時代が違ったこともあって、特に目新しい所が何もない、ごくありふれたオカルト映画になっていたのが残念な所である。
また、K・ロスも、この頃には既にB級作品を中心に出演するようになっていて、かつてのオーラが薄れていて、残念でした。とはいっても、それなりに見せてくれているので、特に可もなく不可もなしといった作品である。主演と監督の名前で見ることにしても、特に悪い訳ではない作品である。
本作は、現在では、DVDはおろか、ビデオもないのですね... ということで、その代わりにいくつか
ORCHESTRAL MANOEUVRES IN THE DARK『ARCHITECTURE & MORALITY』 [音楽(洋楽)]
表題のアルバムは1981年に発表された彼らの3rd.アルバムである。ポップなメロディとキャッチーで聴きやすい曲で、本国イギリスでは人気を集めた彼らであるが、本作では壮大なテーマの元で、実験的な試みも行っている一大叙情詩として完成した名作である。(彼らの最高傑作と言う声もある。)チャート成績は、本国イギリスでは人気最高位3位を記録する大ヒットとなった。(アメリカでは初めてチャートインして、Billboardで最高位144位を記録している。)
オリジナル版では全9曲であったが、2003年にリマスターされて再発された時に、後ろの7曲がボーナス・トラックとして追加されて、全16曲収録となった。収録曲は以下の通りである。『New Stone Age』『She's Leaving』『Souvenir』『Sealand』『Joan Of Arc』『Joan Of Arc (Maid Of Orleans)』『Architecture And Morality』『Georgia』『Beginning And The End』『Extended Souvenir』『Motion And Heart [Amazon Version]』『Sacred Heart』『Romance Of The Telescope』『Navigation』『Of All The Things We've Made』『Gravity Never Failed』。
この中からシングル・カットされたのは3曲で、本国イギリスでは全てがTOP 5入りをする大ヒットを記録している。(アメリカでは特にヒットは記録していない。)『Souvenir』が最高位3位、『Joan Of Arc』が最高位5位、『Joan Of Arc (Maid Of Orleans)』が最高位4位を記録していて、ドイツでは1位を獲得している。(彼らの放ったシングルで、唯一の1位である。)
お薦め曲は、『Joan Of Arc』と『Joan Of Arc (Maid Of Orleans)』、『Souvenir』のシングル曲と、7フンを超える一大叙情詩である『Sealand』、そしてクライマックスを飾る『Beginning And The End』をピックアップしておく。
四半世紀以上前ということで、使用しているシンセサイザーの方も現在と比べると陳腐な所があるのだが、それを感じさせない創意工夫があって、それによってスケールの大きな世界を構築することに成功している。シンセサイザーを中心としたサウンドは'80's初頭に一気に発展を遂げて、'80'sサウンドには欠かせないものになったが、本アルバムはシンセサイザー・サウンドの黎明期に於いて、大きな発展を期待出来るだけの内容を完成させたアルバムでもあるだけに、しっかりと聴いておきたいアルバムの1つである。
↓こちらはDVD付きの2枚組です。
ケータイ刑事銭形泪31話(2nd.18話)[裏ネタ編]PART 7 [ケータイ刑事]
7回目となる「銭形泪・2nd.18話」(通算では31話)の「君の瞳はゲッツーコース! ~野球大会殺人事件」の「裏ネタ編」ですが、今回はこの物語に登場した人物名の「小松」「宇野」「野村」のモデルになった3人の元プロ野球選手について記します。
尚、約3年1ヶ月前になるBS-i(当時)のこの物語の再放送時に記した記した記事は「ここをクリック」してご覧下さい。
この物語の脚本は愛知県出身の佐藤二朗であることから、元ネタになっているのは中日ドラゴンズの選手である。しかも、この物語の制作された2004年当時の現役選手ではなく、それ以前に在籍していた選手である。二朗さんは1969年生まれであることから、1980年代に活躍した選手というのが印象に強いのでしょうね...(ちなみに、二朗さんは「銭形泪・1st.4話」で脚本家としてデビューを果たし、この物語が2本目の脚本である。この後は「銭形零の悪夢」(「零・2nd.8話」)の脚本を書いているが、分家しまいの物語では一度も脚本を書いていない。)
「小松」:モデルは1978年から1994年まで中日に在籍し、エースとして活躍した小松辰雄である。(引退後、1995年から1997年までは投手コーチとして在籍していた。)→この物語でも、モデルがモデルであるだけに、やはり投手でした。
1959年生まれで、高校時代(石川・星稜高校)には甲子園に出場している。ドラフト2位で指名されて、高卒で中日に入団。入団時の背番号は「34」。150km/hを超える速球を武器にして1年目から一軍の試合に登板している。(1年目は散々という成績でしたけど...)2年目からはリリーフで活躍する。4年目となる1981年には先発に転向し、12勝を上げる活躍をする。1983年には胴上げ投手にもなっている。1984年に背番号を中日のエースナンバーの「20」に変えて、エースとして活躍する。特に1985年は投手部門のタイトルを総なめにする活躍をしている。
17年のプロ生活の成績は、432試合に登板して、通算122勝102敗50セーブ。最多勝利2回、最優秀防御率1回、最優秀投手1回、沢村賞1回、ベストナイン1回。(最多奪三振も1回記録しているが、投じたタイトルではなかった。)
現在では何処の球場でも当たり前になっているスピードガンであるが、彼がデビューした当時はスピードガンが登場して間もない時期であった。そんな時に150km/h台の速球を投げたことから、「スピードガンの申し子」と言われた投手である。
1998年以降は解説者となっていて、ユニフォームから遠ざかっている。いずれは中日の監督として再びユニフォームを着るのではないか、と思われる。
中日のエースとして活躍しただけに、二朗さんにとってはエースと言ったら小松という所なんでしょうね。(「星野」でも良かったように思うが、「星野」にしてしまうと、チームに於いてはこちらが中心選手になってしまうということから、遠慮したという所ですかね...???)
「宇野」:モデルは1977年から1992年まで中日に、1993年と1994年にはロッテに在籍していた宇野勝である。スラッガーとして活躍し、本塁打王のタイトルを獲得したこともある強打者であり、内野手である。また、ホームランバッターの特徴である三振の多い打者でもあった。
1958年生まれで、高校時代(千葉・銚子商業)に甲子園に出場している。ドラフト3位で指名されて、高卒で中日に入団。入団時の背番号は「43」。入団1年目は形だけ一軍の試合に出場している。3年目の1979年から背番号が「7」になり、この年から大きく飛躍して、ショートのレギュラーを獲得する。また、ホームランを量産するようになり、1984年には本塁打王を獲得した。(阪神の掛布と同数で、タイトルを分け合った。)
何と言っても有名なのは「宇野ヘディング事件」である。1981/8/26の後楽園球場での巨人-中日戦で、2-0で中日リードの7回裏の巨人の攻撃で、巨人・山本功児の打った打球を捕球しようとしたショートを守っていた彼だったが、ナイター照明が目に入り、フライの目算を誤り、捕球できずに頭に当てたというものである。(ボールはレフトに転がり、二塁ランナーがホームイン、打った山本は本塁憤死となって同点にはならなかった。最終的には2-1で中日が勝った。)これが「プロ野球・珍プレー」として何度も取り上げられることになり、ヘディングの宇野の名前は全国区になった。また、「プロ野球・珍プレー」のブームを産んだ立役者(?)になった。尚、これによって「守備は下手」というイメージが定着してしまったが、特に上手いとは言えないにしても、下手とも言えない守備力であった。
中日で16年間、ロッテで2年間プレーして引退したが、中日在籍中の334本塁打は、中日在籍選手の球団記録であり、1985年の41本塁打は、ショートの選手が打ったシーズン本塁打記録となっている。
現役引退後、解説者となっていたが、2004年から2008年までは中日のコーチとしてユニフォームを着たが、2009年からは解説者に戻っている。
タイホーズの4番バッターとして、3打席連続ホームランを打ったということから、モデルの豪打ぶりをしっかりと発揮していたキャラでした。が、守備でヘディングをやってくれたら良かったのに...(尺の関係もあるが、42点も取られていたら、守備では珍プレーをしていたかも知れませんが...)
「野村」:モデルは(2009年時点で)楽天の監督を務めている野村克也監督である。選手としては1954年から1980年まで、その中で1970年から1977年は選手兼任監督として、その後、1990年から2001年までと2006年から現在までは監督として務めている。選手としては南海で23年、ロッテで1年、西武で2年プレーし、監督としては、選手兼任の南海、監督専任としてはヤクルト、阪神、楽天を率いている。
1935年生まれで、歴代監督の中でも最高齢記録を更新中でもある。京都・峰山高校からテスト生として南海に入団しする。が、殆ど出番無しという状態であった。3年目に正捕手となってからは頭角を現し、4年目に本塁打王のタイトルを取って、南海の中心選手となり、大活躍をする。現役時代のタイトル獲得数は多く、MVP5回、三冠王1回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回と輝かしい成績を残した。また、通算記録も、出場試合数は歴代1位で、それ以外の打撃部門の成績も、本塁打数、安打数、打点は歴代2位である。また、監督としても、南海時代に1回、ヤクルト時代に4回の優勝に導いている。
選手時代から相手を研究することに力を入れて、データを収集し、それを元にした野球を行ったり、バッターに対して「ささやき戦術」というものを行ったり、ランナーがいるときにピッチャーにクイック・モーションで投げさせたりというように、プロ野球の世界に新しいものを導入した。監督になると、それが「ID野球」として更に発展させた。
1978年、ロッテに移籍した年に「生涯一捕手」という言葉を標榜し、これが流行語にもなり、「野球でキャッチャーと言うと野村」というのは不動のものになった。
ということで、ベンゴーズの野村が選手兼任監督であり、キャッチャーであり、年配であり、ささやき戦術を使ったり、「ID野球」と口にしたりしたのも、全てモデルの通りである。→流石に二朗さんも、小松や宇野が活躍した当時の中日の正捕手である木俣、中尾という名前ではなく、中日には一切関係していない「野村」を使っていました。(ちなみに、木俣は、記録面では野村に次いで、キャッチャーとしては歴代2位という記録をいくつか残している選手であり、セ・リーグの捕手記録部門では歴代1位というものもある選手である。)
燃えろ!快速球―小松辰雄物語 (1980年) (ヒーロー・ブックス)
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野村再生工場 ――叱り方、褒め方、教え方 (角川oneテーマ21 A 86)
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あぁ、阪神タイガース―負ける理由、勝つ理由 (角川oneテーマ21)
- 作者: 野村 克也
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