「犬」(その4) [映画(邦画)]
今回は、本シリーズの全9作の中で、最高傑作と言われている1965年のシリーズ第5作の1本についてです。
シリーズ第5作「鉄砲犬」
作品データを記しておくと、1965年の大映京都の作品で、時間は85分、監督は村野鉄太郎、脚本は藤本義一、撮影は小林節雄、美術は渡辺竹三郎、音楽は菊池俊輔である。そして出演は、田宮二郎、天知茂、山下洵一郎、小沢昭一、姿美千子、坂本スミ子、北林谷栄、西川ヒノデ、曽我廼家五郎八、安部徹、早川雄三、守田学、藤山浩二、大川修、小山内淳、蛍雪太朗、仲村隆、渡辺鉄弥、穂高のり子、森矢雄二、九段吾郎、藤井竜史、後藤武彦、甲千鶴、真塩洋一、中原健、豪健司、飛田喜佐夫、橘喜久子、美原沙知子、山根圭一郎、井上大吾、森一夫、たちである。
鴨井大介は九州から伊丹空港に戻ってきた。拳銃の入ったボストンバッグと懐には30万円を持っていた大介は、大衆酒場に顔を出す。そこには顔見知りの刑事・木村がいたことから、酒に浸った。が、そこで大介のボストンバッグが置き引きされてしまった。愛用の拳銃を奪われたが、懐にあった30万円は無事だったことから、大介は、その金を届けてくれと頼まれていたこともあって、届け先に行った。それは、九州の賭場で知り合った小玉が、病身の母へ渡してくれ、と頼んだものだった。で、小玉の妹・照子から、小玉の複雑な事情を知らされる。そんな中、大介の拳銃を使った殺人事件が起こり、大介は容疑者として警察から追われることになってしまう。そんな中、大介のアリバイを証明する人物も次々と消されていってしまう。追いつめられていく大介だったが、新星会に恨みを持つ早川と会い、バッグを奪ったのは新星会のチンピラと知る。で、大介は新星会のボス・塚本の所に乗り込んでいき、対決して塚本を倒した。そして再び大介は旅に出た。
これまでの作品では、何だかんだで警察は大介の味方であもあったが、本作は殺人犯人として追われることになったため、大介は一人で逃げながら悪を突き止めていくという展開となり、これが敵歩良く物語が進んで行くことになり、歯切れの良い作品になっている。また、天知茂も持ち味を出していて、物語に緊張感を与えている。
日本の町中に拳銃がそんな簡単にあるのか?と言われればそれまでであるが'50'sから'60'sに一時代を築いた無国籍ヒーロー作品のような展開は歯切れもよく、たっぷりと楽しませてくれる。やはりシリーズ一の作品と言われるだけのことはありますね。見ておきたい1本である。
↓本作はDVD化されていないのでビデオです。
↓田宮二郎に関して...
ケータイ刑事銭形泪3話[裏ネタ編]PART 4 [ケータイ刑事]
BS-TBSの再放送に合わせた「銭形泪・裏ネタ編」の増補も、今回からは第3話「泪と五代の張り込み大作戦! ~一億円消失事件」に移ります。この物語については過去にPART 3まで記している(2008/7/22、24、26付けで記しています。)ので、やはりPART 4からということになります。今回はサブタイトルにある言葉から「張り込み」について、「一億円」について、「消失」について、そしてこの物語の見所の一つである泪ちゃんと五代さんがやっていた「寸劇」について記します。尚、「張り込み」については「泪・3話[裏ネタ編]PART 1」で記したものをベースにして追記をしました。
この物語について過去に記した記事については「ここをクリック」してご覧下さい。
「張り込み」:いくつかの意味があり、「大金を投ずること」「奢ること」「やり込めること」「見張のために、ある場所に待機すること」「紙片や写真を貼り付けること」というものがある。
この物語をはじめ、一般的には「見張のために、ある場所に待機すること」という意味に解釈されることが多く、様子見、偵察、観察、監視、という言葉が類義語ということになる。(この「張り込み」を英語では「Stakeout」と言う。)
本シリーズをはじめ、刑事ドラマでは「張り込み」というのはお馴染みのものであり、警察が事件の被疑者(捜査段階では、あくまでも「被疑者」であり、「容疑者」ではない。→容疑が固まって逮捕状が発行された時点で「容疑者」となり、逮捕され、その後起訴されると「被告」になる。)の行動を監視することが「張り込み」の目的である。
尚、「探偵」と呼ばれる業務に携わっている人や、興信所の調査員も、依頼内容に応じて「張り込み」を行うことがある。
但し、「張り込み」は、基本的には見張る相手(警察が行う場合は基本的に被疑者となる。)には気づかれないように行うものであり、この物語のように「張り込みをします」と宣言するのは珍しいことである。(→この場合は「護衛」や「保護」するための見張りということになる。)
この物語では、現金とICチップを奪って逃走した犯人(柏木)が戻ってくると判断しての「張り込み」なので、被疑者は柏木として「張り込み」を始めたということになる。(のぶ代に対しては「護衛する」という形になる。)
「一億円」:日本の通貨である「円」が1億あることになる金額である。現在の日本の紙幣では、最高額面の紙幣は「1万円紙幣」であるため、現金で「一億円」となると、これが1万枚ということになる。これがどの程度の物理的な量になるかを考えると、1万円札のサイズ(現在発行されている福澤諭吉の新1万円紙幣(=E号券)の場合)は76mm×160mmであり、厚さは0.1mm、1枚の重さは1.02gであるため、積み上げると1mになり、重量は10.2kgとなる。また、体積は12160立方センチ、すなわち12リットルと少しということになる。一段に積み上げるのではなく、持ちやすい大きさにならすとすると、例えば縦に5枚数、横に2枚とすると、38cm×32cm×10cm(厚さ)ということになる。→家庭にあるこれに近いサイズのものというと、HDDレコーダーやビデオデッキといったものが近いことになる。(AV機器は、幅が40cm強、奥行が30cm~35cm程度、高さは10cm弱というものが多い。)但し、重量はAV機器の方は10kgまではなく、5~8kg程度というのが一般的である。(但し、アンプは放熱板があるために、重量がある。)
ちなみに、最初の1万円札である聖徳太子の肖像画の入ったもの(「C号券」と呼ばれるもの)では、サイズが84mm×174mmと一回り大きいため、体積は14616立方センチ、すなわち15リットル弱になる。(HDDレコーダーでは奥行きや厚みのある高級機と言った所になり、ビデオデッキでもEDβの名器ED-V9000といったぐらいですかね。)また、重量も1枚数が1.05gであるため、10.5kgになる。但し、厚さは同じなので、積み上げた場合の高さは変わらない。→これを考えると、1984年に(D号券として)登場した福澤諭吉の1万円札は、サイズが小さくなったということで、紙資源の節約を行ったということにもなるが、見方によっては今までよりも(体積的に)少量の紙が同じ貨幣価値になったということで、インフレが起こっているということにもなる。
[注意]紙幣を積み上げた場合、新札の場合と、市場を流通して回収されたものとでは微妙に異なる。これはしわができることで、積み上げた場合にはピッタリと重ならなくなるためである。一般に、新札の場合はやや薄くなり、使い古された紙幣の場合はやや厚くなる。よって、1万枚を積み重ねると、新札では95cm程度になり、そうでない場合は105cm程度にまでなると言われている。
ということで、HDDレコーダーやビデオデッキなどのAV機器本体1つ分よりもやや重たいということになる。(宝くじの3億円というと、この3倍になるのは言うまでもない。→AVアンプとHDDレコーダー、ビデオデッキの3点セットと言ったところですかね...)
一億円の現金の体積がAV機器1台分とほぼ同じというのは、少ないと感じるか、多いと感じるかは人それぞれである。また、現金強奪事件は日本ではせいぜい数億円という事件しか発生していないが、「一億円」が約10kgという重さを考えたら、1人の強盗が奪って逃げるにはそんな所だろうということに納得してしまいますね...(海外では、複数犯によって、日本円で数十億円に相当する紙幣の強奪事件が発生していますが...)
「消失」:消え失せること、消えて無くなること、権利などが自然にその効力を失うことである。英語では「Vanish」または「Disappearance」という。類義語としては「消滅」という言葉がある。また、ここで「消える」というのは、「跡形もなく無くなる」ということであり、お金を使って何かを購入した場合は、お金は消えてしまうがその代価として購入したものが残るため、「消失」とは言わない。
この物語では、一億円が消失するということになったが、その犯行動機が、老人が「安心が欲しかった」「信じられるのは金ぐらい」ということだったが、世知辛い世の中ということを上手く描いていましたね。(泪ちゃんの逮捕後に見せた切ない表情が、一段とそういう所を表現している...)
「寸劇」:ごく短い演劇のことであり、余興として行われたり、歌謡ショーの曲と曲の間に行われたりするものである。また、傾向としてはコントのように笑いを誘うものが多い。(これも歴とした「演劇」の一つということになる。ただ、「演劇」と言うよりは「芝居」と言った方が良いかも知れませんが...)
ちなみに「芝居」とは、語源は神社の境内で行われた猿楽などの芸能を観客が見る時、芝生に座って見ていたことから、その観客や観覧席のことを「芝居」と呼んでいた所から来ている。(「芝」は「芝生」のことである。)やがて、これが人前で行われる能楽や舞踊などを行う場所(すなわち「演芸場」のこと)を指すようになり、更に、そこで行われる芸能のことまで指すようになる。この時、特に演劇のことを指すようになった。
また、「芝居」と言うと、人を騙すために行われる作り事やその騙す行為のことを指す場合もあるが、この物語では、のぶ代が泪ちゃんたちを欺いていたことを考えると、泪ちゃんと五代さんの行った寸劇は、「芝居」と言った方が言葉の裏にある意味まで考えたら、より面白い言い方になったかもしれませんね。一応、この物語で泪ちゃんと五代さんが行ったものは、「泪と五代の極貧親子劇場」といった感じの内容だったが、過剰演出がされた笑いを誘うコミカルなものになっていたが、ちょっとしたものということからは「寸劇」という言い方がピッタリくるが、「泪と五代の極貧親子芝居」と言っても悪くは無いですね。
尚、日本語では「寸劇」のことを「スキット」と言うこともあるが、これは英語では「Skit」と言う単語で呼ばれる「寸劇」をそのまま横文字にしたものである。または英語では「Sketch」と言う言い方もある。(日本語では「絵のスケッチ」と混同されることから、この言葉では呼ばれない。)
↓こういう作品があります。
↓いくつか
平凡だったボクが年収一億円になれた理由 ―成功へのちょっとしたヒント
- 作者: 小林 英健
- 出版社/メーカー: 現代書林
- 発売日: 2008/02/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
おらが村の一億円は何に化けたか―笑撃の“ふるさと創生”使いみち白書 (ON SELECT)
- 作者: 外山 操
- 出版社/メーカー: 雄鶏社
- 発売日: 1993/03
- メディア: 新書
名曲探偵アマデウス#49 プロコフィエフ「組曲『ロメオとジュリエット』」 [ドラマ]
今回取り上げられた曲は、プロコフィエフ「組曲『ロメオとジュリエット』」ということで、シェイクスピアの余りにも有名な戯曲で知られる曲でした。曲についての解説は当然であるが、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」についても簡単に話があり、親切でしたね。(カノンさんが簡単に語り、更には人形劇でロメオとジュリエットの悲劇の部分を演じていました。)ということで、今回は、音楽と物語についての両方が分かる内容でした。(と言っても、「ロメオとジュリエット」の物語は有名すぎて、誰でも知っているでしょうが...)
冒頭では、カノンさんが携帯ゲームにハマっていて、ピコピコと五月蠅い、と所長が怒る。が、カノンさんはゲームのことを語り始め、今はやっている「駆け落ちゲーム」だという。そんな所に依頼人が現れ、駆け落ちした娘を捜して欲しい、と飛び込んできた。事務所の看板の「曲」の字が落ちていて「名探偵アマデウス」と見て飛び込んできたのだった。「名曲探偵」と言うことを説明して、依頼を断ろうとするカノンさんだったが、依頼人の携帯の着メロがプロコフィエフ「組曲『ロメオとジュリエット』」だったということから、所長は依頼を受けることにした。
情熱ラーメンというラーメン店を経営する依頼人は、娘・ゆりえ(14歳ということでした。→この名前は言うまでもなく、「ジュリエット(JULIET)」の英語以外の読みから来ていますね。)が、向かいにあるラーメン店(微熱ラーメン)の息子・トメオ(言うまでもなく「ロメオ」の名前をいじったものですね。)と駆け落ちしたということ、微熱ラーメンとは昔からのライバル関係で仲が悪いこと、2人の恋は許す訳にはいかない、ということを語る。(完全に「ロメオとジュリエット」の物語をベースにしている。)また、携帯の着メロはゆりえがセットしたと語り、所長は曲を聴けば居場所が分かるかも、ということで説明を始めた。
まずはジュリエットの部分から語られる。(「ライトモチーフ」について)カノンさんの豊かな表情はいつもの通りであるが、ジュリエットに憧れるような表情は良い表情をしていました。
続いて「モンタギュー家とキャピュレット家」の部分の解説となる。カノンさんは「使っている音は以外と単純な気がする」と言うが、これは「音感だけは抜群」というカノンさんの設定を上手く活かしていますね。で、この部分の説明は野本先生も力が入っていましたね。
ロメオの登場の所では、カノンさんの妄想が始まりだして、「ロメオはイケメン」とまで言って、うっとりとしていたが、恋する乙女という姿をたっぷりと出していました。しかも、これに依頼人が色々と突っ込むのだから、面白いですね。で、ここでは「ヘテロフォニー」の説明、そして「倚音」の説明があったが、野本先生の「倚音」の説明は丁寧で、その効果も含めてとても分かりやすかったです。
で、所長は「変わることも必要」と言って、そこからはプロコフィエフについての説明となり、この曲が作曲された背景の説明となる。曲の仕掛けの説明の後だったので、曲についての理解もなるほど、と思えるものになり、良く分かりました。
で、変わることも必要、憎しみからは何も生まれない、と話した所長は、「悲劇」の部分の説明に入る。カノンさんは「「ロメオとジュリエット」の結末はご存知ですよね」と言ってから、人形劇で、その悲劇の部分を説明していたが、いつの間にロメオとジュリエットの人形を作っていたのでしょうか...???
で「これは「ロメオとジュリエット」のお話です、昔々の」と言って依頼人を励まし、所長がそれを受けて依頼人を諭して娘・ゆりえの気持ちを語ったが、今回はカノンさんも所長の人生相談の力になっていたことが発揮されていて、良い感じで結びになりましたね。で、依頼人は娘のことを許し、自分も大きく変わることをやってみようと決意した。
で、帰って行く依頼人に「アツアツラーメンの出前、待ってます」と言うカノンさんの一言が、現実の世界に戻してくれるには上手い一言となっていましたね。
今回のドラマ部分は37分半強、曲の演奏は5分半弱、ラストのオチが1分弱という構成で、ドラマ部分が長く、曲の部分が短かったですね。で、5分半では当然ながら曲を全部という訳にはいかないので、曲は組曲の中から「モンタギュー家とキャピュレット家」と「マドリガル」の部分のダイジェストという形になっていました。
ラストのオチの部分は、カノンさんが所長に「所長の大恋愛を聴かせてくださいよ」と言って、所長の恋愛話を尋ねる。で、「あれは私が27歳の時だった...」と語り始めた所長。が、カノンさんの携帯にメールが届き、それに目を通すカノンさん。(所長の話はストップする。)で、そのメールは依頼人だった備前島からで、娘・ゆりえがトメオと別れて戻って来たという報告と、依頼人も変わることにして恋愛を始めようということで、カノンさんに「私と大恋愛してみませんか」と申し込んでくる内容だった。それを見たカノンさんは凍てつき、「大きく変わりすぎだよ!」と切り捨てた。(→カノンさんは所長一筋ですから、当然ですよね...)
1日前の11/14のBS-TBSの再放送「東京少女・瓜生美咲」が「ロミオと美咲」という物語で、これも「ロメオとジュリエット」を元にした物語であったが、その翌日の「名曲探偵アマデウス」でも「ロメオとジュリエット」が取り上げられたというのは、何かの縁があるということですかね。こうなると、いくつかある映画版の「ロメオとジュリエット」を改めて見てみようという気になりますね。有名なのは1968年のF・ゼフィレッリ監督、O・ハッセーがジュリエットを演じたものであるが、これと1936年のジョージ・キューカー監督、レスリー・ハワードのロミオ、ノーマ・シアラーのジュリエットの作品、1996年のバズ・ラーマン監督、レオナルド・ディカプリオのロミオ、クレア・デインズのジュリエットの作品は見ているので、未見である1954年のイギリス映画でレナート・カステラーニ監督、ローレンス・ハーヴェイのロミオ、スーザン・シェントルのジュリエットのものか、同じ1954年のソ連映画でレオ・アルンシュタム、レオニード・ラブロフスキー監督、U・ジダーノフのロミオ、ガリーナ・ウラノワのジュリエットのもののどちらかを見てみようかと...
それにしても、今回のカノンさんは豊かな表情を魅せてくれるだけでなく、「ロメオとジュリエット」の開設をしてくれたり、依頼人との掛け合いを楽しませてくれたり、所長の人生相談の助手も務めていて、大活躍でした。前回(ファイルNo.048)がちょっと物足りなさを感じたが、今回はそれをしっかりと取り返してくれていて、色々と楽しませてくれて、しかも色々と勉強になった物語でした。
次回(来週11/22)はファイルNo.050(ようやくこの大台に到達ですね。)のヤナーチェク「シンフォニエッタ」です。また、来週は大河ドラマ「天地人」が最終回のために30分延長されるので、BS-hiの放送は20:30からになり、いつもよりも30分繰り下がります。11/29は何かの再放送で、12/6はファイルNo.051・フォーク「レクイエム」と続きます。また、今週の再放送は、火曜朝だけとなり、土曜昼のBS-hiの再放送はお休みです。また、金曜朝のBS-2はファイルNo.048・ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」で、地上波の方は大相撲のためお休みです。
ロミオ&ジュリエット (ミュージック・エディション) [DVD]
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- メディア: DVD
こどものためのロミオとジュリエット (シェイクスピアっておもしろい!)
- 作者: ロイス バーデット
- 出版社/メーカー: アートデイズ
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本