「VON RYAN'S EXPRESS」 [映画(洋画)]
表題の作品は1965年のアメリカ映画「脱走特急」である。(日本での劇場公開は1965年8月であった。)F・シナトラ主演の脱走アクションものである。F・シナトラというとファミリーでミュージカル系でのお気楽映画というのが多いが、本作はそういう作品ではなく、戦時中の脱走作戦を描いたスリルとサスペンスに満ちた作品である。
作品データを記しておくと、時間は117分、原作はデヴィッド・ウエストハイマー、監督はマーク・ロブソン、脚本はウェンデル・メイズとジョセフ・ランドンの2人、撮影はウィリアム・H・ダニエルズ、特殊効果はL・B・アボット、音楽はジェリー・ゴールドスミスである。そして出演は、フランク・シナトラ、トレヴァー・ハワード、ブラッド・デクスター、ジェームズ・ブローリン、ラファエラ・カッラ、ジョン・レイトン、アドルフォ・チェリ、リチャード・バカリアン、セルジオ・ファントーニ、エドワード・マルヘア、ウォルフガング・プライス、ジョン・ヴァン・ドリーレン、マイケル・グッドリーフ、ヴィト・スコッティ、たちである。
第二次大戦のイタリア戦線、第202 捕虜収容所に、アメリカ空軍のライアン大佐が捕虜として送られてきた。収容所には700名の捕虜がいて、その大多数はイギリス兵であった。その中の一人であるフィンチャム少佐は、捕虜となったことを潔しとせず、脱走を企ててはいつも失敗していた。やがて、イタリアが連合軍に降伏し、捕虜収容所の捕虜たちは全員がオーストリア・インスブルックへ送られることになる。捕虜輸送の指揮官はナチのクレメント少佐であった。一方、捕虜たちのリーダーはライアン大佐になっていて、ある計画を練っていた。それは捕虜たちを無事にスイスに脱走させるというものだった。捕虜たちは列車に乗せられて出発した。ライアン大佐はクレメント少佐を捕らえ、護衛のドイツ兵を片づけて、列車の乗っ取りに成功した。しかし問題はこれからであった。列車の行き先をスイスに変更しなければならない。しかも、それを告るにはドイツ語で敵の指揮官に伝えなければならない。で、捕虜たちの中でドイツ語を喋ることが出来る者たちがナチの将校に化けた。駅に到着した列車から降りて、ナチの指揮官に伝え、計画通りに列車の行き先はスイスとなった。しかし、ここで問題が生じた。クレメント少佐の情婦・ガブリエラを人質としていたが、彼女は隙を見てクレメント少佐を助け出して逃走した。それに気づいたライアン大佐は、直ちに逃走する一段を射殺した。しかし、騒ぎに気づかれて、ドイツ軍に攻撃を仕掛けられることになってしまう。列車を直ぐに出してスイスを目指すが、追っ手の執拗な攻撃が続き、スイス領の手前には待ち伏せ部隊もいた。激しい闘いを交え、何とか列車はスイス領内に脱出することに成功した。が、列車から降りてドイツ軍と戦っていたライアン大佐は、ドイツ軍に気を撮られている間に列車が出てしまい、乗り遅れてしまう。列車を追ったライアン大佐だったが、追いつけず、ドイツ兵に射殺されてしまった...
脱走ものということで、サスペンス仕立てで物語が進んで行くため、たっぷりと楽しませてくれる作品に仕上がっている。(シナトラ・ファミリーによる娯楽作品という色合いは全くない。)また、言葉の壁というものがサスペンスを盛り上げるポイントにもなっていて、リアルで面白い所である。
製作から45年以上が流れているものの、物語の舞台が第二次大戦の時期であるので、特に製作年代が古いことは気にならない。脱出ドラマということでは名作「大脱走」があるが、それとはまた違ったスリルとサスペンスがあるだけに、是非とも見ておきたい作品である。
PETER GABRIEL『PETER GABRIEL(1980)』(3: MELT) [音楽(洋楽)]
表題のアルバムは1980年に発表された彼の3枚目のソロ・アルバムである。彼のソロ・アルバムは、4枚目まではタイトルが付けられておらず、セルフ・タイトルとなっていることから「1」「2」「3」「4」と呼ばれている。(同時に副題もある。)本アルバムは「3」または「MELT」と呼ばれていることから区別するためにそちらも記しておきました。尚、本アルバムは彼の初めての全英No.1となったアルバムである。(5枚目の「SO」も全英No.1を獲得している。)尚、アメリカではBillboardで最高位22位を記録している。
収録曲は以下の全10曲である。『Intruder』『No Self Control』『Start』『I Don't Remember』『Family Snapshot』『And Through The Wire』『Games Without Frontiers』『Not One Of Us』『Lead A Normal Life』『Biko』。
この中からシングル・カットされたのは全部で4曲である。1st.シングルの『Games Without Frontiers』はイギリスで最高位4位を記録する大ヒットになったが、アメリカではBillboardで最高位48位に留まっている。2nd.シングルの『No Self Control』はイギリスで33位、3rd.シングルの『Biko』はイギリスで38位を記録している。(アメリカではチャートインせずだった。)そして4th.シングルの『I Don't Remember』はイギリスでもチャートンしなかった。
お薦め曲は、イギリスで大ヒットを記録した『Games Without Frontiers』、同じくシングル・ヒットを記録している『No Self Control』、ヒットはしなかったもののシングル曲の『I Don't Remember』、それ以外からは『Start』『Not One Of Us』『Biko』をピックアップしておく。
'70's前半のGENESISでのサウンドとは大きく変わり、かなり実験的な試みも行われているアルバムである。特に本アルバムではアフリカン・リズムを取り入れている所が注目点でもある。(『Biko』は必聴である。)
アメリカでは今一つで苦戦したものの、それは余りにも本アルバムのサウンドが先に進み過ぎていたためである。実際、シンセサイザーを取り入れたサウンドは'80'sに隆盛を極めることになり、ワールド・ミュージックの要素(本アルバムではアフリカン・テイストということになる。)は'80's終盤に大きなムーブメントになって'90'sに繋がっていくのですから...→新しいものを受け入れるということではイギリスの方が高いですし...
本アルバムの発表は1980年年であり、既に30年以上昔と言うことになるが、全く色褪せることはないものであり、同時に本アルバムが'80年に発表されていることに驚きを感じることにもなる。(何せ、'80's初頭ではなく、'80's初頭ではなく、中盤から後半のサウンドである。)それだけに、是か非でも聴いておきたいアルバムである。尚、イギリスでは大ヒットを記録しているが、アメリカでは苦戦していてチャート成績が伸び悩んでいるが、こういうアルバムを「隠れた名盤」と言うのである。特に、本アルバムは英米で明暗が出ているだけに、「隠れた名盤」ということを忘れられる傾向があるのだが、紛れもない名盤である。
ケータイ刑事銭形零14話(2nd.1話)[裏ネタ編]PART 4 [ケータイ刑事]
「銭形零」の第14話(2nd.1話)「帰ってきた男! ~福笑いキング殺人事件」の「裏ネタ編」の3回目の増補となる今回は、劇中で語られた「芸術」ということに関する事柄から、「芸術」について、そして名前が出てきた「ピカソ」について、「ムンク」について、「ミレー」について、それぞれの作品である「泣く女」について、「叫び」について、「落穂拾い」について記します。尚、「ピカソ」、「ムンク」、「ミレー」については「零・14話(2nd.1話)[裏ネタ編]」で記したものをベースにして、それぞれ加筆しました。
また、この物語について過去に記した記事(BS-i(当時)の再放送時に記した[改訂版])は「ここをクリック」してご覧下さい。(この物語についての過去に記した裏ネタ編は2008/3/16日付です。)
「芸術」:広く文芸、絵画、彫刻、音楽、演劇、舞踏など、それぞれの一定の形式によって美を追究して表現するために行われた創作活動全般のこと、及びそこで創作された作品のことを言う。また、建築物や庭園などのような大きな創作物の場合でも芸術の一ジャンルとされている。
人間の創作活動は幅広いが、同じ「芸術」という言葉で語られるため、ジャンルが違っていると表現方法も全く異なることになる。(例えば、絵画や彫刻は視覚で見ることが出来るが、音楽は視覚ではなく聴覚を使うことになる。また、文芸では言葉で表現するものであって、視覚や聴覚はそれの補助でしかない。)尚、狭義の「芸術」ということでは、視覚によって接することが出来るものとされている。
英語、フランス語では「Art」(但し、発音は異なる)、ドイツ語、オランダ語では「Kunst」、イタリア語とスペイン語、ポルトガル語では「Arte」、中国語では「藝術」という。
「ピカソ」:フルネームはパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)。スペインのマラガ出身の画家であるが、画家としての活動はフランスが中心であった。多作であることと、作風が次々と変わっていったことから「変貌の画家」と呼ばれている。20世紀を代表する画家として、与えた影響が非常に大きく、「画家と言えば誰?」というアンケートを行った場合、上位に名前が出る一人である。
生まれは1881/10/25であり、スペインのアンダルシア地方のマラガの生まれであり、亡くなったのは1973/4/8、南フランスのムージャンの自宅で没した。
スペイン出身であるが、フランスに定住し、画家としてはフランスで活動を行った。「変貌の画家」と呼ばれるが、「青の時代」「赤の時代(バラ色の時代)」「アフリカ彫刻の時代」「分析的キュビスムの時代」「総合的キュビスムの時代」「新古典主義の時代」「抽象派の時代」「表現派の時代」というような変遷を辿っている。
生涯に制作した作品の数は膨大であり、作品も絵画、版画、挿絵、彫刻などに及んでいる。絵画だけでも13500点、版画は10万点、挿絵だけで3.4万点、彫刻は300点にも及んでいる。(数字でけでは彫刻は少ないが、300点の彫刻というだけでも凄い数である。)
作品数が膨大であるため、代表作を言うとしてもかなりの数が出てくるが、真っ先に名前が出てくるのは「ゲルニカ」でしょう。それ以外で代表作として名前が挙がる作品としては、「アラゴンの風俗」「アヴィニョンの娘たち」「アルルカン」「科学と慈愛」「泣く女」などですかね。
「ムンク」:フルネームはエドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)。ノルウェー出身の画家であり、ノルウェーでは国民的画家として知られている。表現主義的な作風で知られているが、世界的には表現派の先駆け的な存在として知られている。また、作品のテーマとしては、病患と死を取り上げることが多かったが、これは彼が5歳の時に母が結核で、15歳の時に姉が結核で亡くなっていることが影響しているとされている。
ノルウェー南東部のロイテンで1863/12/12に生まれ、若い頃はパリ、ベルリン、コペンハーゲンなどの外国で学んでいる。夏にはノルウェーに戻ってくるが、各地を転々とする生活が続いていたが、1909年にノルウェーに戻ってきて落ち着くことになる。1916年からはオスロ近郊のエーケリーに定住している。
生涯の作品数は、絵画が55点であるが、それ以外では版画がそこそこある。代表作は「叫び」であり、余りにも有名である。それ以外の作品としては「マドンナ」「嫉妬」「思春期」「別離」「接吻」等が有名なところである。
「ミレー」:「ミレー」という名前の有名な画家は2人いる。2人とも19世紀の画家であるが、1人はフランス人、もう1人はイギリス人である。特にフランス人画家のミレーは代表作「落穂拾い」で有名である。(普通、画家のミレーというとフランス人のミレーを指す。)→この物語でも「落穂拾い」という作品名が出てきているので、言うまでも無くフランス人のミレーのことを指している。
フランス人画家のミレーのフルネームはジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)である。パリ近郊のフォンテーヌブローの森のはずれに位置するバルビゾン村に定住し、農民たちの生活を主題にした絵画を多く発表している。写実主義の代表的な画家として知られている。
フランス・ノルマンディ地方の海辺にあるグリュシーという村で1814/10/4に生まれ、19歳の時にシェルブールへ行って絵の修業を始め、22歳の時にパリに出ると、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュに師事することになって絵(デッサン、模写など)をはじめ、聖書や神話など画題となる古典文学も学んだ。1849年にパリでコレラが流行したが、その時にコレラを避けるために、パリの南方約60キロに位置するフォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾンへ移住し、以後、1875/1/20に無くなるまで、この地で活動を続けた。
代表作は「落穂拾い」「種蒔く人」「晩鐘」の3つは余りにも有名であって、この3つは知っていて当然という有名な作品である。(この3作品はいずれもが1850年代に製作された作品である。)と例外では「春」「羊飼いの少女」という作品が比較的名前が通っている。
イギリス人画家のミレーのフルネームはジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)である。(爵位を授けられているので、現在ではSir John Everett Millais呼ぶことになる。)ラファエル前派の1人として知られている画家である。尚、フランス人のミレーと区別するために「ミレイ」と表記されることもある。
イングランドのサウザンプトンで1829/6/8に生まれ、幼少時から優れた画才を示していたことで、10歳の時にロンドンに転居し、11歳で史上最年少でロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学を許可された。1846年(16歳の時)にロイヤル・アカデミーの年次展に入賞して、その才能を発揮している。1848年に「ラファエル前派」を結成し、以後はその分野の一人として活躍をした。また、1896年にはロイヤル・アカデミーの会長に選出されたが、同年の8/13に亡くなった。
代表作としては1862年の「オフィーリア」(言うまでも無く、シェイクスピアの「ハムレット」のヒロイン・オフィーリアを題材にした作品である。)が知られている。
「泣く女」:「なくおんな」、原題は「Weeping Woman 」。スペインの画家・パブロ・ピカソの絵画作品であり、制作されたのは1937年である。数多い彼の作品の中でも有名な作品の1つである。彼のキャリアでは「青の時代」に描かれた作品ということになる。
モデルとしたのは写真家であり、画家でもあるピカソの愛人ドラ・マール(本名はアンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ)である。
「叫び」:「さけび」、原題は「Skrik」(ノルウェー語)、英語タイトルは「THE SCREAM」。ノルウェーの画家・エドヴァルド・ムンクが発表した作品である。これは1点ではなく、全部で4点ある。最初のものは1893年に発表したものであって、油彩画である。2番目の作品はパステル画であって、同じ1893年に製作されている。3番目は1895年にリトグラフによって描かれたものであり、4番目の作品は1910年にテンペラ画である。4点の作品は画法は異なっているが、構図は同じである。
「愛」と「死」、それらがもたらす「不安」をテーマにして描かれた作品である。尚、最も有名なものは、最初に描かれた油彩画のものである。
最近では、2004年にオスロのムンク美術館から盗まれ、2006年にオスロ市内で発見されたということがニュースになったのが記憶に新しい所である。
また、1996年のアメリカ映画「スクリーム」は、この作品の影響を受けていて、映画の中に登場するマスクの顔はこの作品を元にしたものである。
「落穂拾い」:「おちぼひろい」、原題は「Des glaneuses」。フランスの画家・ジャン=フランソワ・ミレーの絵画作品であり、1857年に発表された油彩画である。彼の「種をまく人」「晩鐘」と共にバルビゾン派絵画の代表作として知られている世界的な有名な作品である。
この作品の特徴は、農作業で大事な収穫物ではなく、落ち穂を拾っている農民を中心に描かれている。遠景の方には収穫された穀物が高く積まれていて、豊かな地主が馬に乗って監督していて、そんな環境で賑やかに収穫作業をしているところが描かれている。で、豊かな地主と貧しい農民とを対比して描かれている。
「泣く女」「叫び」「落穂拾い」はいずれもが世界的に有名な作品であるため、その複製物は数多く出回っているため、誰もが見たことはあるでしょうね。(本物で見たという人はそう多くはないでしょうけどねぇ...)
今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)
- 作者: 岡本 太郎
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1999/03
- メディア: 文庫
もっと知りたいピカソ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
- 作者: 松田 健児
- 出版社/メーカー: 東京美術
- 発売日: 2006/01
- メディア: 単行本
ピカソ ――巨匠の作品と生涯 Kadokawa Art Selection (角川文庫)
- 作者: 岡村 多佳夫
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/10/25
- メディア: 文庫
エドヴァルド・ムンク (タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)
- 作者: ウルリッヒ ビショッフ
- 出版社/メーカー: タッシェンジャパン
- 発売日: 2002/04
- メディア: 単行本
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- 価格: 15,400 円