「APPLAUSE」 [映画(洋画)]
表題の作品は1929年アメリカ映画「喝采」である。日本では1930年に劇場公開されている作品である。当時は、これまでのサイレント映画に変わって「トーキー」が登場して間もない時期であるのだが、トーキー映画として色々と実験的な試みが行われた作品として知られている作品であって、「移動撮影」が(トーキーで)初めて採用された作品である。尚、同じ邦題の1954年の作品(グレース・ケリーがアカデミー主演女優賞を受賞した作品)は、邦題こそ同じであるが原題は「THE COUNTRY GIRL」であるので、全く別作品である。
作品データを記しておくと、時間は81分、白黒作品である。原作はベス・ブラウン、監督はルーベン・マムーリアン、脚本はギャレット・フォート、撮影はジョージ・フォルシーである。そして出演は、ヘレン・モーガン、ジョーン・ピアース、フラー・メリッシュ・Jr.、ジャック・キャメロン、ジャック・シンガー、ヘンリー・ワズワース、ドロシー・カミング、たちである。
ブロードウェーを夢見ながら、ニューヨークの場末の劇場に出演している女優のキティー・ダーリングは、夫に先立たれ、一人娘のエイプリルを抱えていた。しかし、娘には自分のような職をやらせたくないことから、5歳になったエイプリルを修道院に入れてしまう。それ以来、彼女は同じ劇団の役者・ヒッチが話し相手となるだけの寂しい人生を送るようになる。それから歳月は流れ、エイプリルは17歳の美しい娘に成長した。年頃の娘がいることを知ったヒッチは、キティーを説得して娘を引き取らせた。更に、娘の勧めもあって、キティーはヒッチと結婚した。しかし、キティーがいないとき、ヒッチは何かとエイプリルに言い寄り、エイプリルはヒッチを斥けるのだった。そんなエイプリルは、ある日、ブロードウェーである男に絡まれ、船乗りのトニーという男に助けられ、トニーと恋中になった。そんなエイプリルはもこれまでは舞台に出ることを嫌っていたのに、母が過去の芸人と罵られているのを知ると、トニーとの約束も忘れて、舞台に出る決心をして、コーラスの1人で舞台に立った。キティーは、エイプリルがトニーと婚約して上手くいっていると思い込み、自分はもう活きている価値が無いと決めつけ、毒を飲んでしまう。その話を聞いて劇場に駆けつけたエイプリル。劇場の支配人はキティーが寄っているものと思い、エイプリルに代役として舞台に立たせた。エイプリルは母のことを思い、精一杯の演技をして客席から大喝采を浴びた。舞台が終わって楽屋に戻ってきたエイプリルだったが、その時にはキティーは既に息を引き取っていた。悲しみに暮れるエイプリルだったが、トニーは優しく腕に抱いたのだった。
物語としては取り立てるほどのものではなく、ありがちな展開の1本であるが、本作で取り入れた移動撮影をはじめ、いくつかのカット割や音の処理は、現在ではスタンダードとなっていることもあって、そういう撮影技術では教科書になるものがたくさん出てくる。これらは録音技術というトーキーで必要となった新たな技術が未成熟だった中で色々と考えて生み出されたものであり、職人技でもある。(現在では技術の進歩で当たり前になっているものばかりですが...)
ということで、トーキーの初期に於ける職人の技術がたくさん見られる作品であるため、映画製作の技術を知るために見るというのもまた面白い所である。(約80年前ということになるが、当時としては最新技術でした。)
牙狼・魔戒閃騎 #8 [特撮]
「東北新社創立五十周年記念作品」という文字が出て、いつもとは完全に違うOPでスタートしたことで、一瞬、何かの都合で、放送が急遽他のものに差し替わったのでは?と思ってしまう形でスタート。しかも、主役の鋼牙が全く登場しない(名前だけは台詞の中で出てきている...)物語いうことで、またまた賛否が分かれる物語でした。(今回は完全に零が主役で、今後、鋼牙に対して再び刃を交えるという見え見えの伏線をじっくり描いたと言うことにもなる。感情の変化ということにもなり、零というキャラを描く上では良いのですが...→この点では物語の幅を広げ、深く描いたと言うことになるが、鋼牙の活躍を見たいということからすると、完全に期待外れということになってしまう。)
ということもあって、今回はタイトルをいつもと違うということで、違う形で記しました。
全く登場しない鋼牙は、キャストの所にも名前が無いのは当然として、カオルとゴンザに関しては、全く別の配役で登場させているということで、これはこれでまたも賛否両論という使い方になりますね...
戦国時代、剣豪・猪狩重蔵に対して仇討ちとして立ち向かう若者達。が、あっさりと返り討ちとして片付けられる。更に、人斬り右京との対決にも勝ったが、重蔵の身体は病に蝕まれていた。また、右京の使った刀にはホラーが取り憑いていて、重蔵に対して、人を斬り続けて生き血を与えることで重蔵を行き続けさせるということになる。
時は現代、その重蔵が甦った。ホラーが取り憑いている刀に言わせると、重蔵は重病でアリ、その身体を癒して復活させるまで数百年という時間が必要だった。
現代に侍の格好で現れた重蔵は、やはり強い相手と戦うという衝動に駆られていて、待ちをさまよい歩く。そんな中、彼は、零が魔戒騎士となってホラーを退治するのを見て、零に勝負を挑む。が、ホラーではない相手とは戦わないという零は拒否して去って行った。
しかし、重蔵はどうしても勝負がしたいということで、零の分まで木刀を用意して、無理矢理勝負を仕掛けた。最初はやる気が無かった零も、木刀を交えているうちに勝負を楽しむようになっていたが、重蔵が吐血したことで、勝負はそこで中止として去ってしまった。
重蔵は完全に強い相手との勝負に拘り、ホラーの方は人の生き血が欲しいだけということからズレが生まれる中、重蔵は自分の血を刀に吸わせた。
三度、零の前に現れた重蔵だったが、今度は姿は重蔵であるが、ホラーに取り憑かれていたことから、零は勝負をすることになる。激しい戦いから、零は鎧を召還して戦い、重蔵もホラーの姿で戦った。結果は零が勝ち、強い相手との勝負に満足する重蔵。が、零は、自分より強い者がいて、それは黄金の甲冑の男ということを告げた。そんな零は、再び鋼牙と刃を交えたいという思いを抱くようになっていた。しかし、同時に残された時間が少ないということも改めて痛感したのだった。
こういう番外編と位置づけられる物語があるのは良いのだが、今回はちょっと脱線しすぎてしまったように感じられる。零も重要なキャラクターの一人であるのは分かるが、やはり鋼牙の物語が見たいのである。この点では完全に期待外れとしか言いようがない。(更に言えば、これまでの総集編でお茶を濁した方がましである。)
が、OPから全く別ものという形になっていて、製作会社の50周年記念ということで、完全に番外扱いとして切り離すことも可能であるだけに、悪いとは決めつけられない物語でした。(前回に続いて、アクション・シーンについては気合いが入っていて、穴埋め的なサービスという用にも感じられましたし...)
今回の物語は、「GARO~MAKAISENKI」としてではなく、独立した物語、または「牙狼」の番外作品に位置づけられる物語で、この物語単独では悪くないのだが、先行上映の劇場に行っていたら、この物語に関してだけは完全に「金返せ作品だった」と認定し、(劇場などに)文句の言葉を残していたでしょうね...(この点では劇場に行っていたらストレスを生むだけとなっていたので、行かなくて正解でした。)
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ALICIA BRIDGES『I LOVE THE NIGHTLIFE』 [音楽(洋楽)]
表題のアルバムは1978年に発表された彼女のデビュー・アルバムである。当時はディスコ・サウンドの世界的な大ブームの真っ直中であったが、そのブームに乗ったヒット曲『I Love The Nightlife』で知られる(=一発屋でしたけど...)彼女のヒット作である。(この曲だけは、現在でもラジオで時折耳にしますね。)
収録曲は以下の全10曲である。『Body Heat』『Break Away』『High Altitudes』『We Are One』『City Rhythm』『I Love The Nightlife (Disco Round)』『In The Name Of Love』『Self Applause』『Diamond In The Rough』『Broken Woman』。
この中からシングル・カットされたのは『I Love The Nightlife (Disco Round)』である。Billbordでは、最高位5位を記録し、1978年の年間シングル・チャートでは5位にランクインしていて、彼女の代表曲になっている。
お薦め曲は、彼女の代表曲である『I Love The Nightlife (Disco Round)』と、『Body Heat』『Break Away』『In The Name Of Love』をピックアップしておく。
サウンドの方は典型的な'70'sディスコ・サウンドであって、当時の流行りのサウンドである。それだけに、現在では'70'sと言うことを感じられるものになっているということで、これはこれで聴かせてくれることになる。(ただ、当時の流行りのサウンドであるため、同じようなジャンルの曲、特に'70'sディスコ・サウンドを集めたオムニバス盤などではありふれたサウンドになって了いますが...)
また、ボーカリストということではパワフルで厚みのある迫力のあるボーカルはなかなか魅力的な所であって、リズミカルな曲も、ゆったりした曲も、聴き所がたっぷりとあって、聴かせてくれているので、ボーカルものがお好きな方にも楽しみを与えてくれている。
尚、彼女はソングライターでもあって、現在も現役として活動を続けているが、オリジナル・アルバムとしてはかれこれ25年以上も新作が出ていないのは...(それだけ、一発屋のイメージが定着してしまっているということでもありますが...)
ケータイ刑事銭形海12話[裏ネタ編]PART 2 [ケータイ刑事]
今回からの「銭形海・裏ネタ編」の増補作業は、第12話「ほんなこつ、このバカちんが! ~方言教室殺人事件」に突入です。初回となる今回は、サブタイトルにある言葉から「ほんなこつ」について、「バカちん」について、「方言」について、「教室」について記します。尚、「方言」は「雷・19話[裏ネタ編]PART 6」で記したものをベースにして加筆しました。
また、この物語について過去に記した記事(MBS放送時に記した[改訂版])は「ここをクリック」してご覧下さい。BS-i(当時)での本放送時に記した記事へのリンクもあります。また、この物語についての過去に記した裏ネタ編は2008/6/22付です。
「ほんなこつ」:九州地方(北九州のいくつかの方言で使われている。)の方言で「本当」「本当に」という意味の方言である。
この物語では、高村さんが口にしていたが、その高村さんは小倉(=北九州市)の出身ということが(この物語で)判明したことを考えると、この言葉が出ても、何ら不思議ではないところである。が、高村さんはロス勤務が長かったということで、英語かぶれをしていて、これまでにも何度も(変な)英語が出てきていることを考えると、幼少期に口にしていた方言が出るというのも理解できないことはないが、ちょっと不自然な気がするのですが...???
「バカちん」:方言であって、侮辱言葉の「馬鹿」という意味である。尚「○○ちん」という言い方は、人の名前の愛称として使われる幼児言葉でもあるが、この場合はは侮辱言葉の「バカ」に幼児言葉の「ちん」を組み合わせて、子供の用という嘲笑の意味も込められた侮辱言葉である。
「方言」:1つの言語に於いて、使用される場所、地域の違いによって生まれた、語彙や発音に変形が見られる変化したもののことを指して言う。または、言語学に於ける分類で、一つの言語の中で下位区分のことを言う。
これは各種言語に於いて共通して言えることであるが、地域的なことから、自然に違った語彙やアクセントに変化していった場合であっても、意図的に語彙を変えた場合(戦国時代に他国の隠密に話を聞かれても相手に理解されないようにするために言葉を変えた場合などがある。)であっても、その生い立ちに関係なく、そのいずれをも「方言」と呼ぶ。また、言葉は常に変化するものであり、時代と共に、また地域ごとに変化していくのは当たり前のことでもあるため、方言が生まれるというのは当たり前のことである。
言葉は時代と共に変化するものであるが、それ以外にも地理的な境界や政治的境界に応じて独自の発達を遂げたことが、方言が生まれた主な原因である。尚、意図的に言葉を変えた場合は別であるが、地域的に見ると、距離的に近い所の言葉の変化は小さく、遠くなるほど変化は大きくなる、という傾向がある。→欧州ではラテン語を祖として、方言的な形で各国の言語が生まれていくことになった。更に、近い国同士では、相手国の言葉と意識的に帰られた部分もあるため、方言よりもその変化が大きくなったこともあって、別言語とされているが、比較的似ている。
また、世界的に見てみると、植民地時代の影響も方言に影響を与えている。例えば、かつての大英帝国の植民地であったインドで使われている英語と、イギリス本国の英語、さらにはアメリカ英語やオーストラリアの英語は細部に違いがある。これも地域に応じて言葉が独自の変化を遂げたためであり、自然発生した「方言」ということになって、このような変化は当たり前のことである。
ちなみに、日本の方言は、大別すると、本土方言と琉球方言の2つに分けられ、前者は、東日本、西日本、九州の3つに更に分類することが出来る。
また、戦国時代になると、他国の隠密に悟られないように、わざと言葉を変えたという政治的な方言が派手に生まれているという特徴がある。明治になって、学校教育で方言を使わないようにして、「標準語」を押し進める形で、方言は悪いものとされるようになったことから、日本語の方言は転換期を迎えることになった。
尚、方言は、ある1つの言語の中での変形であるため、その言語の話者にとっては全く意味不明になるものではない。(異なる言語の場合は、文法や語彙が似ていているものもあるが、その差よりもはるかに小さい範囲の変化である。)また、表記文字まで異なるというものではない。よって、方言は1つの言語に於いての下位区分になるものであって、別の言語と言うことにはならない。
また、方言はあくまでも1つの言語の中で変化したものであるため、複数の方言を使うことが出来ても、それはその1つの言語を習得していることに変わらない。つまり、複数の方言を(例え変幻自在に)使えても、その人を複数の言語を使う人(=「マルチリンガル」)とは言わない。
英語では「Dialect」、ドイツ語では「Dialekt」、フランス語では「Dialecte」、イタリア語では「Dialetto」、スペイン語では「Dialecto」、ポルトガル語では「Dialeto」、中国語では「方言」という。
「教室」:大別すると、3つの意味に分けられる。1つは教育を行うための部屋、授業を行うための部屋、という空間的な部屋のことを指す意味である。2つ目の意味は、大学の研究室などのように専攻科目ごとの研究室のこと、またはそれらのように教師と生徒の集まった集団のことを指す意味である。そして3つ目の意味は、各種技芸を教える所、塾、カルチャーセンター、趣味の講座などのことを指す意味である。
一般的には、第一の意味である建物に設けられた空間的な部屋のことで使われ、学校にある部屋と認識されている。また、音楽室、理科室、家庭科室、美術室などのように、特定の教科で用いる専用の部屋(教室)もあって、これらは「特別教室」と呼ばれることもある。
第二の意味では、「○○教室」と言って、特定のものが教えられていて、小学生向けの「書道教室」や「そろばん教室」など、更に音楽を教える「音楽教室」「ピアノ教室」などは何処にでもあるような技芸を教えるものである。尚、塾については「進学教室」などと呼ばれることもあるが、「塾」と言う言い方が多い。尚、予備校や専門学校は「○○教室」という言い方をすることは殆ど無い。
また、第三の意味では、大学では「ゼミ」という言い方もあるが、近年では「教室」という言い方が増えている。(これも言葉が変化していくものである、ということを語っていることでもある。)
この物語では(日本語の標準語も教えている)英会話学校のことであるため、第三の意味の「教室」ということになる。
英語では「Class」または「Classroom」、ドイツ語では「Klassen」、フランス語、イタリア語では「Classe」(但し、発音は異なる。)、スペイン語、ポルトガル語では「Aula」(但し、発音は異なる。)、中国語では「教室」と言う。
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