祇園祭・長刀鉾 [京都の話題]
本日昼間に、五条烏丸付近に用事があったところ、四条烏丸を通った時、長刀鉾が出ていて賑わっていたので、写真を撮っておきました。その中から幾つかをUPしておきます。(もっと多く撮影したものの、その中から適当にいくつかということにします。)
祇園祭のひみつ―コラムとクイズで解き明かす (月刊京都うんちくシリーズ)
- 作者: 白川書院
- 出版社/メーカー: 白川書院
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
続・江戸時代の料亭/出会い茶屋(?) [京都の話題]
先日、時代劇ではお馴染みのスポットの一つである長岡天満宮の側にあるたけのこ料理で有名な錦水亭の写真を載せておいたが、その続編ということで、角度の違った写真を載せておきます。ただ、時代劇ではあまり見ることのない角度からのものもあります。
尚、時代劇で長岡京市というと、長岡天満宮(錦水亭)以外にも、粟生光明寺というお寺もよく登場します。長岡天満宮付近からだとバスで10分ぐらいということなので、徒歩でも30分ぐらいで到着出来るものと思います。業務関係ということでなかったら、近くまで行ったのだから、光明寺にも足を伸ばしたのですが、先日はそんな訳にもいかなかったのが残念でした。(機会を作って行ってみたいと思います。→それ以外にも、大覚寺、流れ橋、広沢池をはじめ、時代劇で有名なロケ地にも行ってみようと思いますが、その日はいつになることやら…)
また、長岡天満宮/錦水亭へは、阪急・長岡天神駅下車・徒歩10分、JR・長岡京駅下車・徒歩20分と公式にアナウンスされているが、長岡天神駅から徒歩6~7分で行けます。(JRからだと徒歩15分ぐらいで行けます。)尚、錦水亭で食事をしなくても、前回/今回載せた写真のような外観の写真は撮影出来ます。
↓「錦水亭」はたけのこ料理で有名ですから…
遊び尽くし 産地発たけのこ料理 (Cooking & homemade―遊び尽くし)
- 作者: 並川 悦子
- 出版社/メーカー: 創森社
- 発売日: 2003/03
- メディア: 単行本
栄養と料理 2005年5月 [特集 塩で決める、塩で決まる / 竹の子料理を手のうちにする]
- 作者:
- 出版社/メーカー:
- 発売日: 2005
- メディア: 雑誌
長岡天満宮 [京都の話題]
あと半月ほど早ければ、キリシマツツジが満開という時期になったのだが、今の時期では多少は残っていたものの、見頃は過ぎており、花菖蒲はまだ蕾ができる前であったが、アヤメが一部では咲いていました。
宝積寺 [京都の話題]
「天王山」や「大山崎山荘」は有名ですが、「大山崎山荘」の隣に宝積寺(ほうしゃくじ)というお寺があります。(歴史的には、宝積寺の隣地に実業家・加賀正太郎が山荘を建設し、それが現在のアサヒビール大山崎山荘美術館となった。→文豪・夏目漱石が1915/4/15に訪れて、「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を詠んだことも有名です。ちなみに、漱石は1916/12/9に没しているので、死の1年8ヶ月前の訪問ということになります。)
観光ドライバーのための京都案内マニュアル中級編 石清水八幡宮・離宮八幡宮・天王山宝積寺
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ケータイ刑事 THE MOVIE バベルの塔の秘密 ~銭形姉妹への挑戦状 スタンダード・エディション [DVD]
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残念、「三船祭」中止 [京都の話題]
京都の祭というと、「京都三大祭」と呼ばれている「葵祭」「祇園祭」「時代祭」が余りにも有名であるのはご存知の通りである。(観光客が多いのもやはりこの三大祭である。)
しかし、この3つ以外にも全国的にも有名な京都の祭はたくさんある。(ここに名前を記すことは省略する。)そんな中に、5月下旬(5月の第三日曜日)に行われる「三船祭(みふねまつり)」は、季節的にも良い時期に、有名観光地の嵐山の大堰川(おおいがわ)で行われるもので、平安時代の船遊びが再現されるものである。(実は、以外と歴史は浅く、1928年(昭和3年)に昭和天皇の即位を記念して、西暦898年に宇多上皇が大堰川に船を浮かべて遊んだ故事にちなんで行われるようになったものである。
また、行っているのは車折神社(くるまざきじんじゃ)である。)
また、三船祭は、平安朝の時代絵巻の再現ということもあって、優雅であり、とてものんびりとした雰囲気があって、三大祭りとは違った独特の味がある祭でもある。
その三船祭が、今年は中止されるというニュースが流れた。理由は、去年(2013年)の9月の台風18号による豪雨による被害を受けて、その神社施設の修理が進まないこと、及び経費捻出が出来ないからだという。確かに、あの時の豪雨はもの凄かったですね。何せ、あの有名な渡月橋が殆ど水没しようというまで川の水位が上がっていたり、嵐山の周辺は完全に冠水して沼地のようになってしまったのですからね。それだけの被害が出ていたら、復旧に多額のお金が必要というのは誰でも容易に分かる所である。
今年の三船祭が中止になるのは残念であるが、来年には復活させてもらいたいところである。
その一方で、行政(京都府、および京都市)は一体何をしているのかという怒りが自然とわき上がってくる。被災者の支援を行うのは当然であるが、「観光都市」としての発展を進めて行こうとしていることを考えると、観光資源でもある祭の支援をもっと積極的に行うべきであろう。
尚、今年は、三船祭が行われる5月下旬(第三日曜日)の前、4/6が投票日として京都府知事選挙が行われる。(現職で4選を目指す非共産政党支援の現職と、共産党推薦候補との一騎打ちになりそうだが、結果は見えているでしょう… また、投票率も下がるのも確実でしょう…)「」観光都市・京都」と掲げているのに、観光資源の祭への支援が十分ではないということになると、やはり一人の政治家として選挙のことの方が大事だと勘ぐってしまいたくなる。(現職の京都府知事は、現在は全国知事会会長でもあるだけに、普通以上に地元のことに力を入れて貰いたく思う次第である。)
きょうの京都―365日を楽しむカレンダー (みやこの御本) (みやこの御本)
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↓「三船祭」を題材にした小説です。
正鬼(せいぎ)くん人形 [京都の話題]
「○鬼」というのは「仮面ライダー響鬼」に登場するライダーたちの名前である。(「○○き」と読む。放映開始は今年の1月。)その仲間では?と思ってしまうのが「正鬼」である。(ここでは「せいぎ」と読む。しかし、「仮面ライダー響鬼」で「○鬼」の「鬼」の読み方が「ぎ」と濁るものは今のところいない...)いや「正鬼くん人形」である。
これは京都府大江町で評判になっているものである。去年3月に大江駐在所に勤務となった警部補が、初めての駐在所勤務ということで、地域にとけもうとして、家族全員で町のシンボルの鬼が青い警帽をかぶったイラストを考案し、それを駐在所のマスコットとして、毎月全戸に配布される駐在所広報に載せたり、妻が作った約4cmの人形をパトカーの鍵や携帯電話につけて勤務をしてきた。その内、児童たちの登校を見守るその警部補に人形の名前を尋ねる児童が多くなった。で、今年5月になって、その児童たちが通う美河小学校に名前を募集し、「正鬼くん」に決定した。(ひょっとしたら「仮面ライダー響鬼」の影響があるのかもしれない...?)
で、そのお礼として、警部補の妻が約1ヶ月半かけて人形165個を作り、安全を祈って一学期の終業式で全校児童にプレゼントしたという。二学期が始まってからは、児童たちはその正鬼くん人形と防犯ブザーをランドセルに付けて登下校しているという。
最近は、何かあれば直ぐにキャラクター・グッズとしてメーカーが入って来て販売する、というたくましい商魂が幅を利かせている。が、地域で自然発生した「正鬼くん」は、使い捨てのキャラクタにならず、地域の子供たちの安全を守るために生き続けていてもらいたいものである。
京都市バス営業実績・民間委託路線は好調 [京都の話題]
京都市交通局が市議会に提出した資料から市バスの営業成績が明らかになった。市バス全体の収支は悪化している。しかし、民間委託した路線は改善されているが、その他の路線が悪化して全体の足を引っ張る結果となっている。大きな赤字に悩む市バス運行だが、これにより民営化の話が浮上すると共に今後の市バスの姿が変わりそうである。
この資料は100円の収入を得るのに必要な経費を表す営業係数を、2003、2004年度について路線別にまとめたものである。それによると、全73路線の営業係数は、2003年度が105だったが、2004年度は112に悪化した。また、営業実績が改善したのは15路線で、その内6路線は黒字化に成功している。(それ以外は赤字幅が拡大した。)7路線が黒字から赤字に転落した。
黒字化となった路線は、主に洛西地域を運行する西1、2、3、8号や91号などで、いずれもが去年の3月から民間バス会社に運行を委託した路線であった。また、同様に民間委託している西4、5、6号などを含む9路線でも赤字幅が縮小している。 これによって、民間委託が赤字減らしに貢献していることがはっきりとした。
また、赤字が拡大した理由について、市は、退職者の退職手当の増加、更新した車両が多く減価償却費が計上された、乗客数が減少した、と説明しているが、何を今更、というものである。退職者の増加や更新車両というのは予め分かっていることである。更に、乗客数が減ったというのは責任放棄をしているだけであって、経営努力をしていないことを語っているにすぎない。民間痛く路線が好調なのは、民間は努力しているということであり、これは市交通局であっても努力次第では同様の結果を得ることが出来るということである。
京都市交通局は地下鉄の方でも大きな赤字を抱えているが、こういうことが出た以上、何らかの手を早急に打つ必要がある。市中心部の数少ない黒字路線は保つとしても、殆どの路線を民間に委託するか、バス事業を民営化するという議論が出てくるだろうが、その前に、市交通局が今の何倍も努力をして経費削減に努めることを忘れてもらってはならない。
上賀茂神社、古系図と地図をデジタルデータ化 [京都の話題]
上賀茂神社の社家に伝わる古系図「賀茂禰宜神主系図」(十六巻、重要文化財)と、江戸から明治時代の5枚の古地図をデジタルデータとして保存するということが24日から始まり、大型スキャナーを用いた読み取り作業が上賀茂神社で行われた。
今回、デジタルデータ化された古系図は鎌倉から江戸時代に書かれた平安中期以来の社家の系図であり、古地図は明治維新で国に社寺領が没収される以前の村の姿を記録しているもので、共に歴史的資料としての勝ちが高いものである。デジタルデータ化されることで、今までは紙に書かれていた現物を大切に保管しなければならず、簡単にそれを見るという訳にはいかなかったが、今後はデータを見ることで原版に一切触れずに見ることが出来るようになる。また、データを複製することで多くの人にそれを配布することもできるようになる。そのため、人類が積み上げてきた文献をデジタルデータ化することは大きなメリットがある。(人類がこれまでに残してきた数多くの文献は、こうするべきである。)
今回のスキャナーによるデータ読み込みは26日まで行われ、その後でデータをCD-Rに焼いて、会員に配布するとしているが、とても有意義なことである。今後、このような取り組みは広げていってもらいたいところである。(役所の紙書類についても同様のことが言える。)が、原版の保管については、今以上に慎重になって厳重管理の上、保管し続ける、ということを忘れないで下さいよ。
平安神宮の神苑・無料公開 [京都の話題]
平安神宮の社殿を囲む国指定名勝の神苑が無料公開された。19日は気温が30度を越える真夏日となったが、多くの観光客が訪れていた。
今の季節は、残暑で暑くなったとは言っても、やはり「秋」になっている。それを感じさせてくれるのは、源氏物語や古今和歌集などの平安文学に登場する草木を集めた南神苑「平安の苑」である。紫や白の萩の花が良い具合に咲いているのである。その他、黄色いオミナエシや薄紫のシオンの花も咲いていて、秋のひとときの花見というおつなものに浸ることが出来る。
夏が終わり、本格的な観光シーズンには少し早いが、京都にはいくらでもいい場所がある。紅葉が深まる11月の中頃まではあちこちが見所になっている。秋の休日に古都の散策、ゆっくりと行いたいところである。
時代祭、室町時代列の創設は先送り [京都の話題]
10/22に行われる京都三大祭りの一つである「時代祭」に室町時代列を登場させようと計画している団体・平安講社は、今年の参加は見送り、2年後を目処に創設する方針を決めた。
この団体は、桓武天皇(平安京に遷都した天皇、737年~806年)の没後1200年を節目に新しい列の創設を目指していたが、衣装調達や資金面で手間取ったためとしている。また、天皇の逆賊とされ、議論の的になっていた足利尊氏役の登場は異論が強く、軽武装姿の将軍列になりそうということである。
時代祭は、平安時代から明治維新までの風俗を再現した18の時代列が巡行するが、その中に室町時代の行列はない。これは時代祭が始まった明治時代は天皇崇拝が強い時代であり、室町幕府を開いた足利尊氏は天皇に歯向かった逆賊とされていたので排除するということで、室町時代列が作られなかったとされている。しかし、最近になって「北山、東山文化が登場しないのはおかしい」という声が高まり、平安京を造った桓武天皇の没後1200年の今年(でも、日本史事典や百科事典を調べても、桓武天皇が没したのは806年になっているから、没後1200年というのは来年ではないのか?)、室町時代列を加えることを目指していた。
新行列を作るとなると、約1億円の財源が必要といい、足利尊氏については「すでにある楠公上洛列と酷似する」「本格的な将軍列は予算的にも厳しい」ということで、否定するような意見ばかりになっている。
この話を聞いて、新しい行列を追加することに関してはどちらでも良くなった。それよりも新たに生まれた「桓武天皇の没後1200年が今年」という主張と、各種資料では「806年没」という桓武天皇。この説明を教えてもらいたくなった。(数え年のようにして1200年を数えるというのならば、今年は1200年になるが、それを言うならば「1200年目」である。来年というのは「1200周年」だから、「年目」で数えるというのでしょうか?)