「ケータイ刑事」と「007」の驚くべき類似点(その59) [ケータイ刑事]
今回のテーマは「テレビで稼ぐキャラクタ」です。「稼ぐ」というのは、テレビ番組に出演しているだけではなく、商売道具としてテレビを利用して稼いでいるという意味である。よって、単なる(劇中に登場するTV番組)出演者というのはここでは除外されることになる。で、登場するのは、「007」からは「消されたライセンス」に登場したジョー・ブッチャー博士、「ケータイ刑事」からは「舞・12話」のテレショップ野崎の野崎萬造です。
「007」:ジョー・ブッチャー博士。シリーズ第16作(4代目ボンドの第2作)「消されたライセンス」に登場したキャラクターである。「教授」と呼ばれる宣教師であり、カルト宗教の教祖でもあって、日夜布教活動を行っている。また、宗教施設として国際瞑想センターという施設を持っていて、そこの所長でもある。そして、宗教の布教活動のために自分のテレビ番組を持っていて、自ら出演し、口達者な所を発揮している。(一応、人気者ということになっている。)
が、彼の宗教というのはインチキ宗教であり、裏の顔を隠すための表の顔に過ぎない。裏の顔は、麻薬王・サンチェスの配下の男であって、サンチェスの麻薬取引のために動いている男である。国際瞑想センターというのは、実はサンチェスの麻薬組織のヘロイン精製工場であり、そこで精製したヘロインをガソリンに溶かし、そのガソリンを輸出することで麻薬を売りさばいていた。麻薬工場ということを隠すために、宗教施設という形を装っていた。
テレビ番組では、カルト宗教(インチキ宗教)のために「寄付を」と呼びかけていて、普通に見ている視聴者には、宗教活動のための資金を募っているようにしか見えない。(この辺りは口達者ということが活かされている。)が、実はこれは麻薬取引の暗号を伝える場であり、注文/売買情報や市場価格の変化を暗号にして伝えていた。(麻薬取引に参加している者にだけ暗号が伝えられているので、知っている者には(麻薬に関する)情報は正確に伝わり、知らない者(一般人)には全く分からず、寄付を集めているとしか見えない、という巧妙な手法である。)そして、サンチェスの麻薬帝国に莫大な利益を与えることに役立っていた。
ボンドが国際瞑想センターに紛れ込み、破壊されることによって彼の城は崩壊したが、(ボンドガールの)パムに対して下心に満ちたスケベ根性を出したことから、惨めなことになったが、そういう行動は、ある意味ではカルト宗教とは言え、教祖らしいところでもあった。
「ケータイ刑事」:野崎萬造。「舞・12話」のゲスト・キャラクターである。通販会社の社長であり、自分の会社のテレビショッピング番組「テレショップ野崎のショッピングアワー」に自ら出演して、実演販売をしている男である。彼が通販会社を始めたのは、昔、通販にハマったことからであり、扱っていないものはない、というように何でも売っている会社に育て上げた。(昔、通販にハマったということで、五代さんと話が合っていました。)
また、背が低いということにコンプレックスを感じていて、シークレットシューズを履いていたが、これをトリックに使ったのは、なかなか考えていた所でもあった。
社長の殺人予告状が届いたということで、舞ちゃんと五代さんが護衛のためにやってきて、客席で見ている中、テレビショッピング番組「テレショップ野崎のショッピングアワー」をいつものように続ける。(五代さんはノリノリだったが、舞ちゃんは冷めていました。)そんな中、アシスタントの春風瑠美が倒れてしまった。幸にも、一命を取り留めた瑠美だったが、それは野崎社長自身が企んだ殺人計画に狂いが生じたことによって起こったことだった... 結局、舞ちゃんにトリックを見破られ、殺人計画は失敗して逮捕された。
類似点は、テレビという一般に放送されている番組(しかも、自分の持ち番組である)の中で、大胆な犯行を犯したということである。(ジョーは麻薬取引を、野崎は殺人(未遂になりましたけど...))2人共、立場上、番組に対しては好き勝手なことが出来るというのも共通しているが、それを利用している所も共通している。が、やはり悪いことは出来ないものであって、神様はちゃんとバツを与えてくれるものです。
相違点としたら、ジョーは宗教組織上は教祖であるが、実際は麻薬王・サンチェスの操り人形であり、サンチェスの手駒の一人に過ぎないのに、野崎は社長であり、全てを仕切っていて、腹いせとも言うことが出来る殺人計画(塚原が死ねば瑠美を犯人に仕立てる計画だったが、瑠美が被害者となったことで塚原に罪を着せようとした。)を実行出来たというところである。
それにしても、テレビという公共の電波を使ったものを利用するところは、どちらも現代的な発想であり、TVというメディアも一つ間違えるととんでもないことに使うことが出来る、ということを「007」も「ケータイ刑事」も教えてくれている。物語の陰に隠れたメッセージにも共通点があるというのも、「傑作」と言われる作品らしいところである。
次回は、「ゲストキャラにおける類似点」というテーマをお休みにして、少し違った観点からのテーマで述べる予定です。
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