ケータイ刑事銭形泪25話(2nd.12話)[裏ネタ編]PART 9 [ケータイ刑事]
「銭形泪」の2nd.第12話(通算では第25話)「千里眼を持つ女 ~全てをお見通し殺人事件」の裏ネタ編・増補は今回が2回目(この物語では通算9回目)となるが、今回は波子と警察の対決のTV放送がこれ脱兎言うことから「生放送」について、波子はそれを自分の力を知らしめるのに利用したということから「デモンストレーション」について、そして最初に波子が披露した千里眼を泪ちゃんがこう言ったことから「手品」について記します。尚、「生放送」については「愛・19話[裏ネタ編]PART 1」で記したものをベースにして、「手品」については「愛・9話[裏ネタ編]PART 2」で「マジック」として記したものをベースにして加筆しました。
また、この物語について過去に記した記事については「ここをクリック」してご覧下さい。(この物語についての「裏ネタ編」は、2009/5/25、26、28、6/1、2、5、6日付けで記しています。)
「生放送」:テレビ放送やラジオ放送において、リアルタイムで放送される番組のこと、若しくはその放送形態のことである。
テレビの場合、ニュースや選挙の開票速報などの報道番組は基本的に生放送である。(政治家へのインタビューであれば、事前収録ということもよくある。)また、各種スポーツ中継も基本的に生放送である。一方、ラジオ番組では、その殆どが生放送というものが多く、AM放送であれば殆どが生放送である。(FM放送でも深夜の一部の番組を除いて、殆どが生放送である。)
尚、テレビ番組の場合は「LIVE」という文字が画面に出ることがあるが、これは英語では「生放送」のことを「LIVE」という為である。日本では「生中継」という言葉が使われることも多い。
テレビの創生期には、VTRが高価であったこともあって、番組の多くは生放送であって、生放送によるドラマや音楽番組が多数あった。これらの番組では、出演者がミスをすると、それがそのまま放送されることになり、時には大きな問題になることがある。そのため、(業務用)VTRの普及と共に生放送番組は減少していくことになった。→テレビ創生期のVTRは、機材だけでなく、テープの方も高価であったため、VTR収録の番組であっても、放送後には消去されて新たな番組の収録に用いられていたため、TV創生期の番組は放送局にも全く残っていないというのは珍しいことではない。そのため、人気のあった番組であってもソフト化されることが無い。(したくても出来ない。)
尚、生放送中のミスやトラブルは「ハプニング」ということで、本来はNGであるのだが、いつしかそれらを「NG特集」ということでバラエティ番組として利用されるようになったが、これって、自らの失敗を晒しているだけなんですがね...
これを考えると、VTRの導入というのは、放送局にとっては、放送リスクを減らす、という事にも繋がっている。現在では即時性の必要があるニュースやスポーツ中継以外は基本的に全てVTR収録である。(スポーツでも、録画したものを深夜に放送することも時にはある。)
また、番組自体は生放送であっても、部分的に収録してあるものを放送することがある。ワイドショー番組では当たり前であり、ニュースの中でも「資料映像」ということで利用されている。よって、「生放送」と言っている番組であっても、その全てがリアルタイムの生という訳ではない。(「生中継」と言っているスポーツ中継でも、時にはリプレイが混ぜられているので、やはり厳密な意味での「生」ではない所がある。)
「デモンストレーション」:英語では「Demonstration」、略して「デモ(Demo)」と言うこともある。日本語では「示威運動」(デモ行進が該当することになる。)という。また、宣伝のための実演という意味もある。(「実演販売」というものがあるが、それはこれに該当する。)またスポーツ大会に於いて、正式種目以外の公開競技種目が行われることがあるが、それは競技を広く知らしめるという宣伝目的もあり、やはり「デモンストレーション」と呼ばれる。
この物語では、「千里眼」の能力を持っていることを宣伝するという目的のためにデモンストレーションを行おうとしていたことから、「宣伝のための実演」ということになる。→これと同じ動機という事件(物語)が「ケー刑事」では他にもありましたね...
「手品」:英語では「Magic」という。日本語でも「マジック」ということもあって、エンタテイメントの一つである。見た目には、信じられないような現象を目の前で起こして見せる見せ物、芸の一つである。(当然、実際に不思議なことを起こしているのではなく、種々の仕掛けが用意されていて、それを上手く見せることで、目の錯覚を利用したり、思い込みを利用して、不思議な現象が起こっているように見せるものである。)
「手品」という言い方以外に、奇術、魔法、魔術、魔力、呪術などと呼ばれることもある。(「奇術」という言い方で括られることもある。)現在ではより大がかりな仕掛けを用いていて、「イリュージョン」と呼ばれることもある。また、菜本では江戸時代には「手妻」またはは「品玉」と呼ばれていたこともあったが、現在ではこの言い方はされない。(「手妻」は「手品」の語源とされている。)。
誰もが知っている手品としては、何もない箱やシルクハットの中から花や鳩を出す、ステッキが布に早変わりする、ステッキから花が出てくる、などがあって、これらは手品師(マジシャン)にとっては基本中の基本となっている。また、トランプを使ってものなども広く知られている。
歴史は古く、古代エジプトで行われていたものが起源とされている。それが世界各地に広がり、それぞれの地域の文化と融合し、独自の発展をしていった。(その地域独特のものが現在に受け継がれている。)日本には、中国を経て奈良時代に伝来した「散楽」が起源とされている。それが曲芸などと融合し、日本独自のものに発展していった。(当時は「幻戯」または「目くらまし」と呼ばれていた。)
江戸時代には「手妻」または「手品」と呼ばれるようになって、現在のものに近づいた。(これは日本独自の奇術として、世界に知られていくことになる。→例えば、松旭斎一門の水芸など。)明治になって西洋の奇術が日本に入って来ると、より大がかりな仕掛けを使ったものも行われるようになり、今日に至っている。
また、手品には仕掛け(「タネ」と言う。)があることから、それが転じて、様々な考えを巡らせて罠を仕掛けて他人を誑かしたり陥れたりすることを比喩的に「手品」と言うようになっている。この場合は、「目くらまし」「インチキ」「悪事」というような蔑んでみられるというニュアンスを含んでいる。
この物語では泪ちゃんが、波子が行ったこと(選んだ10円玉を当てる)を「千里眼」ではなくて「手品の一種」と断言して、仕掛け(タネ)を説明したが、合理的な説明でその現象を説明できたことから、それは確かに「手品」であると言うことが出来る。但し、「手品」としてのショーであれば、タネ明かしをするのはルール違反ですが...(この物語では「千里眼」のショーとして行っていて「手品」として行ったのではないこと、また「千里眼は存在しない」ということを証明するためであったことから、泪ちゃんの説明はルール違反と言うことにはならない。)
↓こういうのって、役に立つこともありますよ
東大式タネなし手品―子どもに大ウケ! (主婦の友ベストBOOKS)
- 作者: 東京大学奇術愛好会
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本
コメント 0