ケータイ刑事銭形海19話(2nd.6話)[裏ネタ編]PART 4 [ケータイ刑事]
「銭形海」の第19話(2nd.6話)「出た! 骨董マニアの亡霊!? ~ノロイのヨロイ殺人事件」の裏ネタ編・増補の3回目となる今回は、歴史上に有名なものとして名前が出てきたものから、「ワシントンの桜の枝」について、「コロンブスの卵」について、「ナポレオンの辞書」について、そして名前が出てきた「フランシスコ・ザビエル」について、海ちゃんが口にした「修道士」について記します。
また、この物語について過去に記した記事(MBS放送時に記した[改訂版])は「ここをクリック」してご覧下さい。BS-i(当時)での本放送時に記した記事へのリンクもあります。また、この物語についての過去に記した裏ネタ編は2008/8/10付です。
「ワシントンの桜の枝」:「ワシントン」とは、アメリカ合衆国の初代大統領であるジョージ・ワシントンのことである。1732年生まれで、1789/4/30から1797/3/4までの間、大統領を務めた。また、1799/12/14に67歳で没した。
「ワシントンの桜の枝」は、そんな彼の伝記に登場する逸話の一つである。幼少時の彼が、桜の木を切ったことを父親に正直に話したら、かえって誉められたという逸話のことである。これは、「嘘は悪いことであって、正直に話すことが大事である。」と言う教訓として知られるようになった。但し、この逸話は後年の作り話という説もある。(解くに、彼の幼少期(1730~1740年代には、アメリカに桜の木はなかった、とされていること、及び、彼の伝記本である『逸話で綴るワシントンの生涯』の初版から第四版にはこの逸話は無く、1806年の第五版から掲載されたことをその証としている。))
これも、偉人について回る「伝説」の一つということですね。
「コロンブスの卵」:「コロンブス」は大航海時代の探検家であって、アメリカ大陸を発見した人物として知られているクリストファー・コロンブスのことである。1451年頃にジェノヴァの生まれとされていてで、1506年に没した。
「コロンブスの卵」とは、新大陸を発見した彼が帰国し、その凱旋式典の際、「誰でも西に行けば陸地にぶつかること」と評されたのを受けて、「それならば(ゆで)卵を立ててみよ」と言った。で、衆人が卵を立てようと試みるが、誰一人としてそれを実現できた者はいなかった。するとコロンブスは、卵の先端部分を軽く割り、それを机の上に立てた。すると、「そんな方法なら誰でも出来る」と衆人は口にしたが、コロンブスは「人のした後では造作もないことだ」と返した。このことから、誰にでも可能なことであっても、最初にそれを行うのはとても難しことであり、それを最初に思いつく所に意義がある、と語ったという逸話から生まれた言葉である。
この考え方というのは、現在では「特許」がこの考えを受け継いでいる。(最初に考えた人に対して排他的権利を与えるのが「特許」である。)
「ナポレオンの辞書」:「ナポレオン」は、フランス革命の後、19世紀初頭にフランスの皇帝となり、独裁政権を築き上げた「ナポレオン・ボナパルト」(ナポレオン1世)のことである。1769年にコルシカ島で、12人兄弟の上から4番目の子供として生まれる。軍人となってフランス革命を経験し、
1794年に革命政府内でのクーデター失敗に絡んで逮捕されている。(拘束されたのは短期であって、降格処分を受けた。)1795年のヴァンデミエールの反乱を鎮圧して再起すると、イタリア方面軍の司令官に任命される。そして遠征で連戦連勝の功績を挙げて国の英雄となって帰国する。そして1799年にブリュメールのクーデターを起こし、統領政府を樹立して、自ら第一執政となって独裁権を握る。その後、イタリア、オーストリアを征服し、政敵を弾圧して皇帝の座に就いた。(絶頂期を迎えた。)
皇帝となってからナポレオン法典の制定、教育制度の再建、宗教協約の締結などを行っている。また、全ヨーロッパを手中にしようとしてナポレオン戦争を進めるが、スペイン侵略とモスクワ遠征に失敗し、皇帝の座から退位せざるを得なくなり、1814年に退位して失脚し、エルバ島に流された。
しかし、1815年にエルバ島を脱出してパリに戻り、復位する。しかし、ワーテルローの戦いに敗れて皇帝としては「百日天下」(3ヶ月)で終わり、セント・ヘレナ島に幽閉された。で、そこで死ぬまで過ごし、1821年に51歳で没した。
そのナポレオンの言葉として有名なものが「Impossible, n'est pas français.(不可能という言葉はフランス的ではない)」というものである。この言葉が「余の辞書に不可能の文字はない」という日本語になって広く知られるようになった。そのため、ここから「ナポレオンの辞書名は『不可能』と言う文字がない」と言うことになり、「ナポレオンの辞書」として知られるようになった。→近年では、実際にナポレオンがこの言葉を口にしたのか疑問が持たれるようになっていて、構成の創作という説も強くなっている。国民的英雄になると、「伝説」と呼ばれるものが一人歩きするようになるのは珍しいことではないが、その一つと言うようにも見られている。
「フランシスコ・ザビエル」:日本にキリスト教を伝えた人物として知られているスペイン人宣教師である。生まれは1506年で、地方貴族の家に生まれ、1552年に中国の上川島で46歳で亡くなった。インド、日本での布教活動を盛んに行ったことから、「外国伝道の保護聖人」とされている人物である。
19歳でパリ大学に留学し、そこで後の彼の運命を決める人物と出会い、聖職者を志すことになる。1534年にイエスズ会の創設に参加する。世界宣教を目指し、1541年にリスボンを出発し、アフリカ(モザンビーク)を経由してゴア(インド)に渡り、インド各地で布教活動を行う。その後、1545年にマラッカ、1546年にモルッカに赴き、それぞれで宣教活動を行う。1548年にゴアの宣教監督となると、1549年に日本を目指して出発し、同年8月に鹿児島に着く。薩摩での布教活動の許可を得て、布教活動を開始し、1550年には肥前平戸に移る。更に京を目指す。しかし、後奈良天皇、および将軍・足利義輝への拝謁は拒まれ、京を去り、平戸に戻る。1551年に山口で大内義隆に再謁見し、宣教許可を貰うと、大道寺を与えられて、これが日本最初の常設教会堂となった。
日本には約2年滞在し、1551年にインドに戻るために日本を離れた。1552年にゴアに到着する。次に、日本での布教には中国の宣教が必要と考えて、中国を目指し、上川島に到着する。しかし、そこで病を発症して亡くなった。
「修道士」:キリスト教の隠者のこと、または修道院で修業をしている人のことを言う。尚、「修道士」は基本的に男であって、女の場合は「修道女」と言う言い方をするのが一般的である。
修道院は、協会が堕落したことから、その浄化を目指すことを目的としてつくられたものであることから、修道院での生活(修道士の生活)は厳格であって、禁欲的な生活であった。(当然、独身である。(配偶者と死別した人は、以後独身を貫くことになる。))
英語では「Monk」、ドイツ語では「Mönch」、フランス語では「Moine」、イタリア語では「Monaco」、スペイン語では「Monje」、ポルトガル語では「Monge」、中国語では「修道人」と言う。
ジョージ・ワシントンの110の戒め―「人望」を集める珠玉の習慣
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コロンブスより上手な卵の立たせ方―身近な科学の謎解き実験室 (KAWADE夢新書)
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- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄 上巻 (岩波文庫 青 818-1)
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- 出版社/メーカー: 岩波書店
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聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄 下巻 (岩波文庫 青 818-2)
- 作者: フランシスコ・ザビエル
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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フランシスコ・ザビエル―東方布教に身をささげた宣教師 (日本史リブレット人)
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