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ケータイ刑事銭形泪36話(2nd.23話)[裏ネタ編]PART 7 [ケータイ刑事]

7回目となる「銭形泪・2nd.23話」(通算では36話)の「まりもクイーンVS女王卑弥呼 ~邪馬台国を迎撃せよ!」の「裏ネタ編」ですが、今回は閣下に関する事柄から、閣下からの入電の時に名前が出た「大本営」について、閣下が口にした「ヒトラー」について、「スターリン」について、ちゃんが口にした「食べられません、勝つまでは」の元ネタになっている「欲しがりません、勝つまでは」について、そして今回の物語で閣下が口にした諺の「急いては事をし損じる」について記します。

尚、約3年2ヶ月前のBS-i(当時)での再放送時に記した本編について記した記事(「改訂版」となります。)は「ここをクリック」してご覧下さい。

大本営」:戦時に於いて、設置される大日本帝国陸軍および海軍の最高統帥機関であり、天皇が軍を統率する組織である。また、天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令(大陸命)または大本営海軍部命令(大海令))として発令する最高司令部でもある。これまでに3度設置されている。また、英語では「The Imperial Headquarters」と言う。

最初に設置されたのは1893年であって、勅令第52号戦時大本営条例によって法制化される。そして、1894/6/5には日清戦争の大本営が設置された。この時は陸軍参謀総長のみが幕僚長とされた。また、9/15には戦争指導の拠点を広島に置くことになり、大本営は広島に移った。(天皇も広島に移る。)その後、戦争終結を受けて、1896/4/1に解散された。

その次は1904年の日露戦争における大本営が1904/2/11に設置された。この時に陸軍の参謀総長、と海軍の海軍軍令部長の両名が共に幕僚長とされた。(これは戦争終了後の1905/12/20に解散した。)

1937年の日中戦争は、日本も中国も宣戦布告を行っていないことから「戦争」とされず、「支那事変」と呼ばれるが、大本営設置は「戦時」に限っていたので、それを廃止して、戦時以外の事変でも設置を可能にした「大本営令(昭和12年軍令第1号)」が制定され、1937/11/20に大本営が設置された。尚、この時の大本営は解散することなく太平洋戦争の戦時に突入したため、その大本営となった。(これは終戦を迎えた後、1945/9/13にGHQの命令によって廃止された。)

特に、太平洋戦争では、戦況などに関する公式発表として「大本営発表」ということで発表されることが行われた。当初は正しい情報が発表されたが、戦争開始から半年ほどしたミッドウェイ海戦の頃から内容が歪曲されるようになり、損害に関する過少発表から始まり、更には勝敗を逆にした発表まで行われるようになった。そのため、現在では「内容を全く信用できない虚飾的な、または詐欺的な公式発表」という意味の代名詞になっている。→これを考えたら、閣下の「大本営発表」というのは全く信用できないもの、と解釈してもおかしくないのに、ヒントとして受け取ったちゃんは、素直というか、勉強が足りないと言うか...(まあ、初期の「大本営発表」と解釈するという道筋もありますが...)

ヒトラー」:ADOLF HITLER(アドルフ・ヒトラー)、1889/4/20生まれ、1945/4/30没(とされている)のドイツの政治家であり、ドイツの指導者(総統)である。第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは多額の賠償金を負担していたこと、また世界恐慌による不況により経済的に苦しんでいたドイツで、アーリア民族を中心にした民族主義と反ユダヤ主義を掲げた政治家である。社会状況が悪いこともあって、民族主義が国民に支持されていき、1933年に首相となる。(ここまでは、ドイツ国民に支持されて、合法的に権力を掌握していった。)直ぐに議会を解散して選挙を行い、過半数の議席獲得とはならなかったものの、非合法政党にされた共産党の議席を抹消したことで、結果的にナチ党が過半数を得ることになり、ここから独裁体制を強めていく。政敵に対しては過半数を持つ議会で法律を作って非合法化して失脚させて、独裁体制を勧めていく。そして1934年にヒンデンブルク大統領の死去を受けると、「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」を作り、大統領と首相を合体させ、国民投票で9割近い支持を得て、ヒンデンブルク大統領の後継国家元首に就任した。形の上では大統領であるが、そのようには呼ばず、「指導者兼首相」となった。日本ではここから「総統」と呼ぶようになる。

再軍備を始め、情報統制を行うようになってメディアの方も掌握し、完全に権力を掌握して独裁者へとなっていく。軍備からは軍事力による領土拡張路線を進めていくことになり、1939年のポーランド侵攻が第二次世界大戦の引き金になった。

第二次大戦の戦局が悪化していき、ドイツ降伏直前の1945/4/30に、前日に結婚した妻・エヴァ・ブラウンと共に、愛犬ブロンディを自ら毒殺した後に総統官邸総統地下壕で自殺した。(しかし、ヒトラーの遺体とされたものはガソリンで焼却されたこともあって、損傷が激しく、更に回収したソ連軍の軍医の検死しか行われておらず、本当にその遺体がヒトラーだったと確認されていない。そのため、ヒトラーは自殺せずに逃亡して生きているという「ヒトラー生存説」が後に唱えられている。)

尚、ヒトラーの後継者は、彼の遺言によって、後任の大統領兼国防軍最高司令官職にカール・デーニッツ海軍元帥を、首相にはヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相を、ナチ党担当大臣にマルティン・ボルマン党官房長をそれぞれ指名している。

在任中の1936年には、第11回夏季五輪がベルリンで行われたが、このオリンピックからでは、ギリシャのオリンピアで採火された聖火がベルリンまでリレーされるということが行われたが、これがオリンピックで初めて行われた「聖火リレー」であって、現在では当たり前になっている。→ベルリン五輪はヒトラーのオリンピックとも言われていて、ドイツが国力を上げて行ったものであるのだが、そこに今日でも受け継がれている聖火リレーが初めて行われたというのは特記事項である。(まあ、プロパガンダのために行われたのですが...)

今日では、ヒトラーは独裁者の代名詞にもなっているが、ラジオや映画がプロパガンダを高めることに着目し、それを実践したということでは、先見の明があったということになる。→時代が違っていたら、全く異なる偉大な指導者になっていただろうとも言われている。(が、現状でも歴史に名を残した指導者になっていますが...)

スターリン」:Иосиф Сталин(JOSEPH STALIN、ヨシフ・スターリン)、1878/12/18生まれ、1953/3/5没のソ連の政治家であり、ソ連の指導者である。1917年のロシア革命の成功でソビエト連邦の創始者となったレーニンが1924年に亡くなると、後継の権力闘争を勝ち抜いてソ連の指導者となり、5ヶ年計画を推し進めて一国社会主義を推進して、ソ連を大国に躍進させた。1936年に制定された「ソビエト社会主義共和国連邦憲法」は別名「スターリン憲法」とも言われるが、これがソ連の政治の元になった。(1980年代にペレストロイカによって憲法改正が行われるまで、実質的にこれがソ連を支配していた。)

政策は、工業化と集団化、集中管理を推進していくことであり、従来のボリシェヴィキの理論である「世界革命」路線を放棄して、一国で共産主義を構築する「一国社会主義」である。反対派を粛清していったこともあるが、これが受け入れられることになり、また結果を出す。秘密警察と情報機関を強化したのも彼である。

また、1930年代後半(1936~1938年)には「大粛清」を行って、反対勢力を完全に排除し、個人独裁体制を完全に築き上げ、独裁者となった。

1939年にはドイツとの間で独ソ不可侵条約を結んだが、これは犬猿の仲と言われたヒトラーとスターリンが手を結んだ条約としても知られている。(お互いに認め合っていた所もある。)しかし、1941年6月のドイツ軍のバルバロッサ作戦(ナチス・ドイツのソ連の奇襲攻撃)によって両国が戦争状態に突入したことで消滅している。

この時は独ソ不可侵条約を破られる形になったスターリンであるが、彼は1945年8月に、以前から結んでいた日ソ中立条約を破棄して、日本と満州国に宣戦布告している。

閣下が「ヒトラーとスターリンは信用できん」と言っているが、ヒトラーとスターリンは共に侵攻しないという条約を破棄して戦争に参加しているという所から言っているのですね。

第二次大戦は戦勝国となったソ連は、東欧を中心に多くの国々を占領し、共産主義諸国を生み出すことになり、東西冷戦の原因を作っている。

1953/3/1に寝室において脳卒中の発作で倒れたスターリンは、右半身を麻痺させて、昏睡状態となる。一時的に意識を回復するも、3/5に危篤に陥ってそのまま死亡した。遺体は防腐処理されてレーニン廟で保存されることになった。(但し、1961年に撤去されて焼却された。)

スターリンの死後、マレンコフが最高指導者となるも、権力闘争で9日でその座を明け渡し、フルシチョフが後任の最高指導者となる。(一応、レーニン、スターリン、マレンコフに次いでの第4代であるが、実質的にはスターリンの後継者はフルシチョフである。)そのフルシチョフはスターリン批判を繰り広げたこともあって、スターリンは批判の対象となる。(そのため、1961年にはレーニン廟に保存されていた遺体が撤去されて処理された。)が、1964年にフルシチョフが失脚すると、スターリンの名誉回復の動きが始まり、ソ連崩壊後は特に再評価されるようになっている。

欲しがりません、勝つまでは」:第二次大戦中に、日本国政府が掲げたスローガンの1つであり、精神論による戦意高揚のための標語の1つである。

1937年に盧溝橋事件が起こり、支那事変となるが、当時の近衛内閣(第一次)が推進して行った国民精神総動員という政策で、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」の3つのスローガンを掲げて国民を戦争遂行に協力させようとしたが、そのために使用された標語の1つである。他には「贅沢は敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「遂げよ聖戦、興せよ東亜」「聖戦だ、己れ殺して国生かせ」「石油の一滴、血の一滴」などもこの時の標語としして使われている。

これは、国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神を養うことを目的としていて、国民に耐乏生活を強いて戦争に勝つことを目指すものである。そして贅沢な生活は悪いこととされ、質素で倹約することが美徳とされた。(日の丸弁当が奨励されたのはその一例である。)そしてこれに異を唱えたり、非協力的だった人は「非国民/」と呼ばれて迫害されていった。

国民に私欲を捨てて我慢することを教えた精神論は、この後には「特攻隊」を生むことに繋がり、ますます精神論で乗り越えていくように世の中が動いていくが、精神論だけでは勝てなかったということは、歴史が証明している。

「欲しがりません、勝つまでは」の前半の所を「食べられません」と置き換えているが、食べることは食欲であり、それを抑えるということは、私欲を抑えて目的に向かって進んで行くということを言っていることになるため、「食べられません、勝つまでは」は意味としても完全に「欲しがりません、勝つまでは」と同義になっているが、大食いの泪ちゃんがこういうことを口にするのだから、実に上手い標語ですね。

急いては事をし損じる」:諺であり、焦ってことを急ぐと、とかく失敗しがちになる。そのため、急ぐときほどじっくりと落ち着いて対処せよ、という意味である。(特に、「急ぐとかえって失敗を招きやすい」という前半部分のみの意味が一人歩きしている所があるが、後半部分の教訓となる部分を忘れてはならない。)

類義語としては「急がば回れ」「急ぎの文は静かに書け」「走れば躓く」「近道は遠道」などがある。また、英語では「Haste makes waste」(直訳すると、「急ぐと無駄が出来る」)という。

 

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