ケータイ刑事銭形泪37話(2nd.24話・アナザーストーリー2話)[裏ネタ編]PART 4 [ケータイ刑事]
4回目となる「銭形泪・2nd.24話」(通算37話)の「第三帝国からの挑戦状 ~アドルフ・ヒトラーを迎撃せよ!」の「裏ネタ編」は、この物語に於いて何度も登場し、柴田さんが「法則」とまで言った「ハーケンクロイツ」について、「ナチス」について、劇中の字幕に出てきたドイツの地名である「ベルリン」について、「シュツットガルト」について、「フランクフルト」について記します。
尚、約3年2ヶ月前のBS-i(当時)での再放送時に記した本編について記した記事(「改訂版」となります。)の前半は「ここをクリック」、後半は「ここをクリック」してご覧下さい。
「ハーケンクロイツ」:ドイツ語では「Hakenkreuz」、日本語では「鉤十字」とも言う。ドイツの政党である国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党章であり、1935年から1945年の間はドイツ国旗にも使われていたマークである。これは西洋では幸運の印とされていた右卍(英語ではSwastika)をデザインにしたものである。
ちなみに、「卍」はサンスクリット語で「スヴァスティカ」または「Śrīvatsa」(シュリーヴァトゥサ)と呼ばれるものであり、ヒンドゥー教や仏教では吉祥の印とされている。そして、東洋でも西洋でも、左卍と右卍は幸運のシンボルとされていた。(尚、「卍」という漢字は6画であり、部首は「十」である。)
新たに作られた政党である国家社会主義ドイツ労働者党は、1920年に右卍を党章に採用したが、これによってヨーロッパでは「幸運の印」という意味はなくなり、ナチのシンボルということのみに変わった。
また、ナチのシンボルは赤地に白い円(日本の国旗の色を逆にしたようなものですね。但し、ナチの方が円の直径が大きい。)の中に黒のハーケンクロイツが入ったデザインであるが、赤の意味は「社会主義」、白い円は「民族主義」を意味している。そして、このシンボルは「アーリア人種の勝利のために戦う使命」を意味している、とされた。
1945年のドイツの敗戦で、ドイツではハーケンクロイツの使用が禁止され、学術的な目的、もしくは反ナチ意識高揚のための使用以外で使用すると逮捕されることになる。また、他のヨーロッパ諸国でもナチスを想起させるとして、使用が禁じられている。
「ナチス」:ドイツの政党である国家社会主義ドイツ労働者党のことである。一般的にはこの通称で知られている。ドイツ語では「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」と言い、最初の2音節の「Nati」の部分を「Nazi」というように同音異字に変えたものである。「ナチス(Nazis)」はその複数形である。ドイツでは「NADAP」または「NS」と呼んでいた。尚、現在ではドイツ語以外の言語でも「Nazi/Natzi」はこの綴りで使われている。
1918年に結成された「ドイツ労働者の平和に関する自由委員会」を母体にして、1919年に「ドイツ労働者党(DAP)」に名称変更して政党として誕生した。当時は第一次大戦敗北によるドイツ帝国の解体と社会主義革命に騒然としていた時代であり、僅か40人ほどの小さな政党として生まれた。のちにナチス幹部として活躍するアルフレート・ローゼンベルク、ディートリヒ・エッカート、ルドルフ・ヘスが参加している。尚、アドルフ・ヒトラーは創設時のメンバーではなく、1919/9/12に行われた集会に参加して、その数日後に入党した。
ヒトラーが入党すると、直ぐに見込まれるようになり、政党としての基礎を固める仕事をするようになり、1920年1月に反ブルジョワ、反ユダヤ、国粋主義などの25カ条綱領を作成し、1920年に国家社会主義ドイツ労働者党と改名した。
次第に支持者を伸ばしていくが、1923年にヴェルサイユ条約の賠償金支払い遅延を理由にしたフランス軍のルール地方占領に対してテロ活動を始めるようになり、国粋主義が支持されるが、同年11月のミュンヘン一揆で首謀者たちは逮捕されて投獄されることになる。そしてこの時に危険政党として非合法化され、一時解散することになる。(但し、党としての知名度はより高くなり、ダミー団体が活動を続けることになる。)
1925年にヒトラーが釈放され、亡命して投獄を免れたていた他の幹部たちもドイツに帰国、そして政党としての再結成が許可されると、再び政党としての活動を始め、合法活動による政権獲得を主軸として展開していく。
1928年には、ナチス党として初めてとなる国政選挙が行われたが、この時は僅か12人の当選に留まり、敗北した。しかし、その後のドイツ経済悪化、ヴェルサイユ条約の賠償金支払い方法となるヤング案の合意によってドイツ政権は国民から反発を呼び、ナチス党の支持が級に伸びていくことになる。そして1930年の選挙では107議席を獲得して第二党に躍進する。
1932年4月の大統領選挙では、ヒトラーが大統領候補として出馬するも、現職のヒンデンブルク大統領が勝利する。(ヒトラーの得票は30%を超えたところだった。)そして7月の選挙では過半数までは行かなかったが、第一党となる。この時、ヒトラーは首相に拘り、内閣は安定せず、1933年1月に、遂にヒトラーは首相の指名を受けて、ヒトラー内閣が樹立した。(この時、ナチス党からの入閣は3人だった。)ここから独裁体制に移行していき、1933年3月、全権委任法を国会承認させ、これによってナチス党による事実上の独裁体制がスタートした。
独裁体制は1945年の敗戦まで続き、ドイツ降伏によって党は事実上の解散状態になり、やがて党の存在を法律によって禁止され、ニュルンベルク裁判では「犯罪的な組織」と認定され、完全に消滅した。
「ベルリン」:「BERLIN」、漢字で表記すると「伯林」。ドイツ北東部に位置する都市で、エルベ川の支流であるハーフェル川とシュプレー川の合流点に位置している。ドイツ連邦共和国の首都である。現在では人口340万人のドイツ最大の都市であり、ヨーロッパでも有数の大都市である。
ドイツの歴史でも中心都市として、1871年のドイツ帝国の成立から1945年の第二次大戦終結まではドイツの首都であった。その後、東西に分割され、東ベルリンはドイツ民主共和国(東ドイツ)の首都として、西ベルリンは西ドイツの都市となる。ドイツの首都であるが、政治の中心地であるものの、ドイツ経済の中心地は別であり、金融はフランクフルト、産業はルール地方、ミュンヘン、シュトゥットガルト、ケルンが中心となっている。
ベルリンはスラブ系民族のベンド族の集落であったが、1230年頃にドイツの植民市として都市として作られ、その後、ハンザ同盟の一員の都市となる。17世紀前半に城壁が建設され、18世紀前半にプロイセン王国の首都として発展する。しかし、19世紀初頭にはナポレオン軍に占領されたこともある。1871年にドイツ帝国が成立すると、ドイツの首都になるも、第一次大戦の敗北、世界恐慌、ナチスの台頭、第二次大戦での荒廃、そして東西分割と、黒歴史を進んで行き、東西冷戦を象徴する都市となる。1961年に建設された「ベルリンの壁」はそれを象徴している。1989年にベルリンの壁崩壊から東ドイツの崩壊、1990年のドイツ連邦共和国による東西ドイツの統一、そして再びドイツ連邦共和国の首都となった。
日本とも繋がりが深い都市の一つであり、現在は、東京都と島根県津和野町が姉妹都市を結んでいる。また、明治時代には日本から数多くの留学生がベルリンで学んでいて、森鴎外が留学していたことは特に有名である。(人口1万人に満たない津和野町が姉妹都市を結んでいるのは、森鴎外の出身地だからであり、森鴎外が留学していたために姉妹都市を結んでいる。)
尚、1986年の映画「トップガン」(トニー・スコット監督、主演はトム・クルーズ)の主題歌である『Take My Breath Away』(邦題:愛は吐息のように)のヒットで知られるアメリカのバンドであるBERLIN(ベルリン)は、ドイツの都市であるベルリンの名前を使っているが、特に(都市)ベルリンと関係ある訳ではない。ただ、彼らはこのバラード・ナンバーで知られているが、デビューま1978年から'80's前半とはサウンドが大きく違っている。『Take My Breath Away』の大ヒット曲があるが、この曲の方が彼らのサウンドから少し離れた位置にある、ということは意外と知られていない。
「シュツットガルト」:「シュトゥットガルト」と表記されることもある。現地語では「STUTTGART」、ドイツ南部のバーデン・ヴュルテンベルク州の州都であり、ドイツ南西部の中心都市である。ライン川の支流であるネッカー川沿いの都市で商工業の中心都市の一つである。人口は約60万人である。
現在では、ドイツを代表する世界的な企業であるダイムラー、ポルシェ、ボッシュなどの本社がある都市として知られていて、工業が盛んである。また、一方では葡萄栽培も盛んであって、ワインの生産でも知られている。
歴史は古く、13世紀に都市特権を得た都市として発展したが、17世紀には三十年戦争で荒廃する。19世紀にはヴュルテンベルク王国の首都となった都市である。その後、工業を中心にして発展するようになり、今日に至っている。
特に、ヴュルテンベルク王国の首都であったことで、芸術都市としても知られていて、美術館や音楽施設が充実しているのも特徴であり、シュツットガルト室内管弦楽団、シュツットガルト州立歌劇場、シュツットガルト・バレエ団は世界的にも有名である。また、ダイムラーとポルシェの本社があるため、ベンツ博物館、ポルシェ博物館があることは、自動車マニアの間では有名である。
尚、日本の都市では、岐阜県大垣市が姉妹都市を結んでいる。
「フランクフルト」:ドイツの都市であるが、食べ物である「フランクフルト・ソーセージ」の略称でもある。特にソーセージの方は有名で、ソーセージの代名詞となっている言葉でもある。但し「フランクフルト・ソーセージ」と言うのは和製語である。ドイツの都市・フランクフルトが発祥地であり、燻煙ソーセージの一つであり、豚の腸を使ってやや太く作るのが特徴である。
都市のフランクフルトは、「フランクフルト・アム・マイン」(FRANKFURT AM MAIN)というのが正式名称であるが、一般に「フランクフルト」と呼ばれている。但し、ドイツにはポーランドとの国境沿いにも「フランクフルト」と言う都市があり、それと区別するため、ドイツでは「フランクフルト・アム・マイン」と呼ぶのが正しいことになっている。(もう1つの「フランクフルト」は「フランクフルト・アン・デア・オーダー」であり、人口約6万人の都市である。)
ドイツ西部の都市であり、ライン川の支流のマイン川の下流にある都市である。ドイツの経済と交通の中心地であり、世界都市である。人口は約67万人である。
歴史は古く、かつてはローマ帝国の駐屯地であり、神聖ローマ帝国の都市として発達してきた都市である。その後、メッセ都市として発達していき、8世紀後半から9世紀初頭のカール大帝の時代では王国会議が行われた都市でもある。1372年にフランクフルトは自由都市となり、後にプロテスタントの拠点の一つともなり、19世紀にはライン同盟によってその支配下に入るが、1815年に自由都市としての地位を回復する。1848年の3月革命の時、最初の全ドイツ国会(フランクフルト国民議会)が行われた都市でもある。第二次大戦では戦渦によって大きな被害を受けるが、戦後は経済の中心地として発展し、ドイツ経済の中心地となる。また、西ドイツの国土では地理的にほぼ中央に位置したことから、西ドイツの首都の有力な一つであった。(暫定首都として、ボンが西ドイツの首都となった。→統一によって首都はベルリンに移転した。)現在ではヨーロッパ中央銀行が設置されていて、ドイツだけでなく、ヨーロッパでも経済の中心地になりつつあって、フランクフルト証券取引所は世界で7番目の取引高を誇っている。(欧州ではロンドン証券取引所に次いで2位である。)
交通の点では、ヨーロッパでも重要なハブ空港であるフランクフルト国際空港があり、日本からの直行便も就航している。
文化の点では、世界的にも知られているゲーテの出身地であり、美術館や博物館も多い文化都市でもある。また、本拠地として活動しているhr交響楽団、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団も世界的に知られた楽団である。また、ちょっと変わった所では、「アルプスの少女ハイジ」では、クララのゼーゼマン邸がある。
尚、現在、日本の都市とは姉妹都市を結んでいない。
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