ケータイ刑事銭形泪7話[裏ネタ編]PART 8 [ケータイ刑事]
「銭形泪」第7話「時に愛は命を奪う ~恋愛小説家殺人事件」の裏ネタ編・増補の第4回目(この物語についての通算では8回目となる)となる今回でこの物語については打ち止めとします。で、今回はこの物語の動機(被害者が犯人のこれを忘れた)となった「誕生日」について、泪ちゃんはこれが無くなったため五代さんの(バレンタインの)チョコを作ったということから「小遣い」についてと「手作り」について、そして柴田さんが「鑑識メモ」で口にした「伴天連」について記します。尚、「誕生日」については「泪・33話(2nd.20話)[裏ネタ編]PART 4」で記したものをベースにして、「伴天連」については「零・22話(2nd.9話)[裏ネタ編]」で記したものをベースにして、それぞれ加筆しました。
この物語について過去に記した記事については「ここをクリック」してご覧下さい。(この物語についての「裏ネタ編」は、2008/9/9、11、13、16付けで記しています。)
「誕生日」:広義では、人や物などが誕生した当日のことである。(この場合は、本当に生まれた日のことのみを指すことになる。)が、一般的には、1年の中でその人が誕生した日の応当日(週、月、年などの一定の単位に於いて、同じ位置を占める日のこと)で、「誕生記念日」または「誕生月日」のことを指す。そして、記念日として、家族や知人が集まってお祝いをする「誕生パーティ」と呼ばれるものが行われる。→その人が生まれた当日のことは「生年月日」と言って「誕生日」とは区別される。(「生年月日」は1人の人には1日しか存在しないが、「誕生日」は1年に1日の割合で毎年存在する。但し、2/29生まれの人は「誕生日」は4年に1日しか存在しないことになる。しかし、平年は「みなし誕生日」(あくまでも「みなし誕生日」であって「誕生日」と同等であるが、厳密に言うと「誕生日」とは別ものである。)として2/28または3/1がこの日とされる。)
誕生日(2/29生まれは「みなし誕生日」)を迎えると、「満年齢」で年齢を数える場合(現在ではこれが一般的である。尚、「満年齢」は生まれた時点では「0歳」である。)年齢が1つ加えられるが、この加齢する時間的なタイミングは「誕生日の前日限り」、すなわち前日の午後12時(=24:00)とされている。この時間は、時間軸上で言うと、誕生日当日の午前0時(=00:00)と同一ということになるが、法的には年齢に達した日から規定されているものがあるため、「前日限り」という時刻に加齢されることになっている。(これは、言葉上のことではあるが、誕生日当日は、最初の1秒から既に年齢が1つ加わったことになっている。)
ちなみに、年齢の数え方としては「数え年」というものがある。これは生まれた時点で「1歳」となり、元旦(1/1)になると1歳加齢されるものである。これだと、全ての人の年齢は1/1に1つ増えるだけとなり、それ以外の日には加齢されることはない。また、新生児も1歳として生まれてくるので、「0歳児」というものが全く存在しないことになる。(これだと、12/31生まれの人は、2日目で2歳になります。)
「数え年」のメリットは、現在の太陽暦では閏年の2/29が例外扱いとされているが、これを使えば閏年があっても無くても全く影響がなく、「例外」というものが無くなることになる。しかし、全ての人の加齢が元旦になるということで、「誕生日パーティ」というものが廃れていくことになってしまうでしょうねぇ...
日本では、現在では「満年齢」が用いられていて「数え年」は殆ど使わなくなっているが、太陰暦を採用していた時代(1872年まで)では、年齢の数え方というのは「数え年」が採用されていた。太陰暦では、1年は354日であるため、3年でほぼ一ヶ月(正しくは33日)の誤差が生まれるため、季節がずれていってしまうことになる。で、その誤差を解消するために、3年に一度(正しくは19年に7度)の閏月を設けていた。(閏月がある年の事を「閏年」と言うのは同じであるが、閏年は、12ヶ月ではなくて13ヶ月となった。)→太陰暦の同じ「○月○日」が太陽暦にした場合、年によって日付が変わるのはこのためである。
閏月は季節調節のために用いられたため、それが用いられる月が変わったため、閏月に生まれた人の誕生日というのは、その次の閏月があるのは何年先になるのか分からず、年齢を数えるのにはとてもややこしくなった。で、簡単に年齢を計算する方法として考え出されたものが「数え年」である。(ただ、生まれた時は「0歳」として、正月(=元旦)を何回迎えたかということにしても良かったように思いますが...)
誕生日は、昔から代表的な記念日とされていて、最も身近な記念日である。宗教の世界でも、キリスト教ではキリスト降臨の日である12/25がクリスマスとして、仏教では釈迦の誕生日である4/8が花まつり(灌仏会、仏誕、ウェーサーカ祭などと異なった呼び方もある。)として、イスラム教ではムハンマドの誕生日としてマウリド・アン・ナビー(預言者生誕祭、第3月12日)が知られている。また、世界の国の中には君主や元首の誕生日が祝日として定められている国も多い。(日本の天皇誕生日もこれに該当する。)
また、祝日とまではいかなくても、記念日として「○○の日」というものが多数あるが、その中で記念日とするのは、そのことにゆかりのある人の誕生日とすることも多い。(命日を記念日にするということもありますが...)
尚、英語では「Birthday」、ドイツ語では「Geburtstag」、フランス語では「Anniversaire」、イタリア語では「Compleanno」、スペイン語では「Cumpleaños」と言う。
「小遣い」:「こづかい」であって「こずかい」ではない。(「遣う(つかう)」に濁点が付いた言葉であるため「つ」に濁点が付くのが正しい。)日常の雑費として使われる金銭のことであり、個人が自由に使うことの出来るお金である。その用途は幅広く、遊びのために使ったり、飲食をはじめ、様々な小物を購入することに使用されるのが一般的である。
英語では「Pocket Money」または「Spend Money」若しくは「Spending Money」と言うが、特に子どもの小遣いであれば「Allowance」と言うこともある。(子どもが「お小遣いちょうだい」と言うのは「May I have my allowance?」と言うが、英語圏に知り合いがいる方は、子どもがこれを口にすることがあるため、覚えておくといいですよ。)
参考までに、一ヶ月の小遣いの平均値というのは、男女とも未婚者の方が既婚者よりも多い。また、男女別では10代以外は男の方が女よりも多い、という統計値が出ている。また、小学生の小遣いの平均額は、低学年(1、2年生)が1000円強、中学年(3、4年生)が1000円弱、高学年(5、6年生)が1400円程度というデータがある。(中学生は2500円程度、高校生は6400円ぐらい。)尚、小学生の低学年では、小遣いは0円という子どもの数も多いが、貰っている子どもはそれなりの額を貰っているということが分かる。また、中学年になると0円というのは激減して、必要に応じて小額の小遣いを貰っているということです。
「手作り」:自分の手で作ること、または自分の手で作った物のことである。「手製」と言うこともある。尚、プレゼントで物を贈る場合は、完成品を買ってきて贈るのではなく、手作りのもののことを指し、料理の場合は、出来合いの食品(惣菜や冷凍食品など)を使わずに、材料となる食材から手作業で調理して料理を作ることを指す。(惣菜を買ってきて、それを元にして別の料理に調理した場合も「手作り」とは言わない。)当然、惣菜を買ってきて、それを弁当箱に詰め替えた弁当も「手作り弁当」とは言わない。
尚、手作りのプレゼントとしては、「手編みのマフラー/手袋」というものはその代表的なものとして知られている。
また、総菜店や食堂では、調理の際に調理機械を用いて大量に調理を行うが、そういう調理機械を使って作られた料理の場合も「手作り」とは言わないのが一般的であり、手作業で調理した料理のみを「手作り料理」と言うのが一般的である。(生クリームの泡立てに使うハンドミキサーであれば「手作り」として許して貰える(→手作業ならば泡立て器を使うことになる。)が、フードプロセッサーや攪拌機などを使うと「手作り」とは言わない。)
この物語では、泪ちゃんは五代さんのチョコレートを手作りしたと言っていたが、市販のチョコレートを買ってきて、それを溶かして、何かの型に入れて固めたのでしょうが、チョコレートを溶かす際の湯煎は手作業でしょうから、「手作り」と言って良いでしょう。(その後でデコレーションをしたり、トッピングもしていることでしょうから...)一応、カカオ豆を買ってきて、そこから作ったという可能性も否定できないが、流石に個人ではそこまでして「手作りチョコレート」を作るという人はいないでしょうね...
「伴天連」:カタカナで「バテレン」と表記することや、漢字では「破天連」と表記する場合もある。元々はポルトガル語の「Padre(パードレ)」(意味は「神父」)から来ている言葉である。キリシタン用語であり、ローマ・カトリック教会の司祭のことを指す。(「司祭」は布教活動を指導する立場の地位にある。)
これは、キリスト教が日本に入ってきた時、宣教に従事した司祭の称号として使われた言葉である。(尚、司祭と共に布教活動を行った者の中でも、「司祭」ではなく助修士と平修士のことは「以流満(イルマン)」という。)そこからキリスト教、またはキリスト教徒の俗称としても使われるようになった。
基本的に、キリスト教が禁止される以前では、司祭のことを指していて、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルをはじめとして、トルレス、ビレラ、フロイス、カブラル、オルガンチノ、コエリョ、ヴァリニーニャ、ソテロという司教たちが知られている。
1587年に豊臣秀吉が「バテレン追放令」(完全な禁止ではなく、強制的にキリスト教への改宗は禁じているが、個人が自分の意思でキリスト教を信仰することまでは禁止していない。)を発令してからは、宣教師は長崎・平戸に集まり、布教活動を控えることになるが、この頃からキリスト教徒たちのことを「伴天連」と言うようにもなる。そして、江戸時代になって、1612年の「キリスト教禁止令」が発令されてからは、キリスト教徒のことを「破天連」と呼ぶようになった。
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