「人生劇場」(その7) [映画(邦画)]
今回は、本作の最初の映画化を戦前の1936年、1938年に行った日活の戦後作品である1964年の作品についてです。劇場公開は1964年2月であった。原作は「青春編」であって、その後の作品については改めて制作されることはなかった。
「人生劇場」(1964年)
作品データを記しておくと、1964年の日活作品で、時間は105分、原作は尾崎士郎、監督は舛田利雄、脚本は棚田吾郎、撮影は間宮義雄、美術は松山崇、音楽は伊部晴美である。そして出演は、高橋英樹、松原智恵子、水谷良重、滝沢修、宍戸錠、島村徹、平田大三郎、高野由美、山岡久乃、加藤嘉、小泉郁之助、浜村純、たちである。
吉良の仁吉親分の兄弟分の父を持つ青成瓢吉と、尾張一円の顔役の父を持つ夏村大蔵は、家柄が似通っていることもあって、昔からの大親友であった。幼いときから剛気な育てられ方をした瓢吉は大学に進学する年齢になり、上京して早稲田大学に入ることになった。しかし、この時、一家が頼りにする吉良常は入獄していて、落ぶれていた。早稲田の政治科に入った瓢吉は、大学で問題となっていた銅像建立騒動に巻き込まれることになり、一躍学生の英雄となった。そんな瓢吉は、ある夜、学生の一団と飲み歩き、新橋で幼馴染みのおりんが光竜という芸妓になっていると聞いた。で、貧乏書生の身を憂いながらも、おりんの面影をしのんでいた。銅像問題は更に発展し、教授たちの派閥争いとなり、更には政党の勢力争いにまで及ぶようになっていた。学生運動に熱くなっていた瓢吉であったが、建学の精神を忘れてしまい、独立の努力も無くなって派閥争いに明け暮れる早稲田に失望し、規制を使用と決めた。そんな所に、父がピストル自殺をしたという報が届き、帰省した。が、故郷はもはや義理も人情も失っていて、花形だった瓢吉の家も、見る影もないほど落ちぶれていた。そして、出獄した吉良常、瓢吉、そして瓢吉の母・おみねは朝露で霞む町を後にして去っていった...
どことなく、日活特異の無国籍ヒーロー作品の雰囲気を感じてしまう所があるが、作品としたらそれなりにまとめられている。ただ、可もなく不可もなしという作品であって、印象が余り残らない作品という所が残念なところでした。
↓原作です。
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