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ケータイ刑事銭形愛21話[裏ネタ編]PART 6 [ケータイ刑事]

今回からの「銭形愛・裏ネタ編」の増補は第21話の「ベルリンの壁殺人事件」に突入です。(以前にPART 5まで記しているので、PART 6からということになります。)で、今回はサブタイトルにある言葉から「ベルリン」についてと「」について、そして「ベルリンの壁」について記します。尚、「ベルリン」は「・37話(2nd.24話・AS2話)[裏ネタ編]PART 4」で、「ベルリンの壁」は「・17話(2nd.4話)[裏ネタ編]PART 3」で記したものをベースにして、それぞれ加筆しました。

また、この物語について過去に記した記事は「ここをクリック」してご覧下さい。また、この物語に対する過去に記した裏ネタ編は2009/6/7、8、10、11、13付です。

ベルリン」:現地語のドイツ語表記は「BERLIN」(英語も同じ。)、漢字表記は「伯林」。ドイツ北東部に位置する都市で、エルベ川の支流であるハーフェル川とシュプレー川の合流点に位置している。ドイツ連邦共和国の首都である。現在では人口350万人、都市圏人口は600万人のドイツ最大の都市であり、ヨーロッパでも有数の大都市である。また、ベルリンは都市州であって、ベルリン市だけで一つの州という地位の都市となっている。また、ベルリン市には現在、12の行政区が設置されている。

ドイツの歴史でも中心都市として、1871年のドイツ帝国の成立から1945年の第二次大戦終結まではドイツの首都であった。その後、ドイツは東西に分割されたが、ベルリンも東西に分割されて、東ベルリンはドイツ民主共和国(東ドイツ)の首都として、西ベルリンは西ドイツの都市となる。(西ドイツの飛地ということになった。)1990年に東西ドイツが再統一されてドイツ連邦共和国となると、改めてその首都となった。(それまではドイツ連邦共和国の首都はボンであった。)

尚、ドイツの首都であるが、政治の中心地であるものの、ドイツ経済の中心地は別の年であって、金融はフランクフルト、産業はルール地方、ミュンヘン、シュトゥットガルト、ケルンが中心となっている。

元々のベルリンは、スラブ系民族のベンド族の集落であったが、1230年頃にドイツの植民市として都市として作られ、その後、ハンザ同盟の一員の都市となる。17世紀前半に城壁が建設され、18世紀前半にプロイセン王国の首都として発展する。しかし、19世紀初頭にはナポレオン軍に占領されたこともある。1871年にドイツ帝国が成立すると、ドイツの首都になるも、第一次大戦の敗北、世界恐慌、ナチスの台頭、第二次大戦での荒廃、そして東西分割と、黒歴史を進んで行き、東西冷戦を象徴する都市となる。1961年に建設された「ベルリンの壁」はそれを象徴している。1989年にベルリンの壁崩壊から東ドイツの崩壊、1990年のドイツ連邦共和国による東西ドイツの統一、そして再びドイツ連邦共和国の首都となるという歴史がある。ある意味では20世紀には激動の歴史を繰り広げた都市の代表的な都市と言うことが出来る。

日本とも繋がりが深い都市の一つであり、現在は、東京都と島根県津和野町が姉妹都市を結んでいる。また、明治時代には日本から数多くの留学生がベルリンで学んでいて、森鴎外が留学していたことは特に有名である。(人口1万人に満たない津和野町が姉妹都市を結んでいるのは、森鴎外の出身地だからであり、森鴎外が留学していたために姉妹都市を結んでいる。)

それ以外の「ベルリン」としては、1986年の映画「トップガン」(トニー・スコット監督(つい先日(2012/8/19)飛び降りで死亡している。))、主演はトム・クルーズ)の主題歌である『Take My Breath Away』(邦題:愛は吐息のように)のヒットで知られるアメリカのバンドであるBERLIN(ベルリン)が知られている。彼らはドイツの都市・ベルリンの名前を使っているが、特に(都市)ベルリンと関係はなく、アメリカ・カリフォルニア州出身のバンドである。ちなみに、彼らは上記のヒット曲で知られているが、デビューの1978年から'80's前半とはサウンドが大きく違っていて、『Take My Breath Away』の方がバラード・ナンバーで、彼らの大半の曲とは毛色が違うものである。(シンセサイザーを使ったポップなサウンドであって、ニューウェーブのバンドに分類される。)

」:空間を仕切るための建造物である。大別すると、建物の外部と内部を仕切るもの(「外壁」と言う。)と、建物内部に於いて、部屋と部屋、または部屋と通路などの空間を仕切るもの(「内壁」という。)とがある。尚、屋外の空間を仕切るものであっても、その一部は「壁」と呼ばれることがあるが、それらは「柵」「塀」「垣根」などと呼ばれるのが一般的である。

役割としては、空間の仕切りとして、更には音、熱、光などを遮る役割がある。(外壁の場合は、更に風雨、虫などの飛来物を遮る役割もある。)

それ以外の意味としては、登山の世界に於いては、直立した岩壁のことを言い、女房詞として使った場合は「豆腐」「おかべ」を指す。更に、「障害物」「障壁」という意味でも使われる。

英語では「Wall」、ドイツ語では「Mauer」、フランス語では「Mur」、イタリア語では「Muro」、スペイン語では「Pared」、ポルトガル語では「Parede」、中国語では「牆」と言う。

ベルリンの壁」:ドイツ・ベルリンにかつて存在した東ベルリンと西ベルリンを隔てる壁である。東西冷戦時には、東西分断の象徴となっていたものである。

西ベルリンは東ドイツ領内にあり、西ドイツの飛地であった。(周囲を完全に東ドイツに囲まれていた。)しかし、西ベルリンと西ドイツ本国とは飛行機などで結ばれていて自由に行き来が出来た。また、東西ベルリンの間は、市民は自由に往来可能であった。(実際、東ベルリンに住み、西ベルリンで働いていた人はある程度いた。)しかし、東西の経済格差は大きく、西ベルリン、更には西ドイツの方が裕福となって言ったことから、東ベルリン地区の住民が西ベルリン地区へ移動していくことが多くなっていった。特に若年労働者の亡命が止まらなくなった。

1961年当時、東ベルリンはソ連の占領下で、西ベルリンは米英仏の占領下であった。西ベルリンは、周囲が東ドイツに囲まれていたものの、そこからは西ドイツ本国に飛行機を使っての移動が自由に出来た。また、西側諸国の方が裕福な生活が出来たことから、東ドイツの人々は、東ベルリンから西ベルリンに入り、そして西ドイツ(本国)に流れていった。これに対して東ドイツは、高齢者(年金受給者)の西への脱出であれば、年金支払い負担が減ることになるため、東ドイツは歓迎していた。しかし、若年労働者の場合は労働力の減少になることから特にこれを問題視した。が、経済格差は大きく、高齢者だけで無く若年層も含めて西への流出が止まらなくなったため、これに手を打つ手段として、西ベルリンに通じる68本の道の全てを封鎖して、まずは有刺鉄線による壁を築いた。更に、その壁を石造り、コンクリート造りの壁として、より強固なものを築き上げた。

壁は二重になっていて、2つの壁の間には数十mの緩衝地帯があった。(緩衝地帯は厳重に監視されていた。)そのため、壁を乗り越えて東から西に行こうとすると、壁を超え、緩衝地帯を越え、更に2つ目の壁を超えなければならなかった。特に厳重な監視体制が取られていた緩衝地帯では、そこで発見されると直ちに射殺されるということが行われていた。(犠牲者は192人に上っている。)そのため、東ドイツ政府の思惑通りの役割を果たしていた。

尚、壁の高さは4m、西ベルリンを囲むように総延長は156kmに達している。ちなみに、この壁は東西ベルリンの境界ではなく、全てが東ドイツ側の土地に築かれた。

その後、これが崩壊することになる1989/11/9までは、東西冷戦の象徴として存在することになる。しかし、'80's後半の東欧諸国の市民革命の波は東ドイツにも訪れていくことになった。ハンガリーがオーストリアとの国境を開放すると、東ドイツ国民はハンガリーを経由してのオーストリアに流れ、更に西側へ行くという越境ルートが出来ることになった。このニュースが次々と東ドイツ国民を更にかき立てることになり、東ドイツ国民はハンガリーを経由することになるものの、東ドイツを出ることが可能になった。そのため、西ベルリンを経由しなくても西側へ行くことが可能になったため、ベルリンの壁は有名無実化した。そして東ドイツ政府は人材流出を防ぐため、海外旅行自由化法案を発表した。しかしこれは完全な「自由」ではなくて制限があったため、国民が反発した。それに手が加えられて旅行自由化の政令案が可決、公布、施行されると、法的にベルリンの壁は実行を失った。そして、1989/11/10になって、東西ベルリンの市民が歓喜の中、壁(の一部)を破壊した。(物理的な壁の崩壊。)その後は東西ドイツの統一へ加速していくことになった。

東ドイツ崩壊後に東ドイツによってこれは撤去されたが、歴史的な意味のある建造物であることから、ほんの一部分のみが記念碑として残されていて、歴史を象徴する文化遺産となっている。

ベルリンの壁を超えることは、生きては不可能と言われたことから、「決して越えることの出来ない障害」「永久に無くなることのない大きな障害」ということの例えとして使われるようになった。(「永遠に無くならない」とされていたが、東ドイツという国家がバックにあってという条件が前提になっているため、言葉としては「永久」の方が正しい使い方である。→実際、東ドイツという国家が崩壊すると無くなっただけに、「永久に無くならない」と言って問題ないことになる。)

英語、ドイツ語では「Berliner Mauer」(但し発音は異なる。)、フランス語では「Mur de Berlin」、イタリア語では「Muro di Berlino」、スペイン語では「Muro de Berlín 」、ポルトガル語では「Muro de Berlim」、中国語では「柏林圍牆」と言う。

 

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