ケータイ刑事銭形海17話(2nd.4話)[裏ネタ編] [ケータイ刑事]
今回の「銭形海[裏ネタ編]」は、2nd.シリーズ第4話「明日のスターを目指せ! ~芸能プロダクション社長殺人事件」についてです。今回の物語は佐々木浩久監督でゲストに三輪ひとみさんということなので、まずは「三輪ひとみ」について、そしてこのコンビによる作品の一つである映画「発狂する唇」について、そして五代さんが口にした「武道館ライヴ」について述べることにする。(佐々木&三輪コンビでは「血を吸う宇宙」という作品もあるが、これは「海・3rd.2話」に繋がる所があるので、それまでお預けです。)
尚、BS-iの本放送の時に記した長文&ネタバレあり版は「ここをクリック」してご覧下さい。(放送直後に記した感想版もここを経由してください。)
「三輪ひとみ」:1978年生まれの女優。三輪明日美、三輪恵未は実妹である。1996年にCMで本格的にデビューし、1997年からはテレビよりも映画の方の出演が多く、女優として活動を始めた。1999年の「発狂する唇」では初主演し、第10回日本映画プロフェッショナル大賞の新人奨励賞を受賞。ここからホラー映画への出演が多くなって、「ホラー・クイーン」の名前を持つようになる。また、この作品は佐々木浩久監督作品ということもあって、佐々木監督のお気に入りの一人であって、佐々木監督作品にはよく出演している。
特撮ヒーロー作品の日本の3大メジャー・シリーズの「ウルトラ」「ライダー」「戦隊」の全てに出演していることから、特撮ファンの間でも知名度は高い。「ケータイ刑事」へは「泪・2nd.22話」と「海・2nd.4話」に出演している。また、「怪談新耳袋」の第1シリーズの「ビデオ」では、妹・明日美と共演しているが、一時期は姉妹共演というのが多かった。
尚、女優として活動を始めたのは1997年であって、「ウルトラマンティガ」に出演したが、「ケータイ刑事」繋がりでネタを記すと、3代目・泪の黒川芽以さんも「ウルトラマンティガ」に出演(別の回ですけど...)していて、更に女優としては同じ1997年のデビューとなる。更に、クイーン女優・宝積有香さんも同じ1997年に女優デビューしている。(黒川さん、宝積さんと女優としては同期生ということになる。)
「発狂する唇」:1999年の作品で、バサラ・ピクチャーズの作品である。B級映画の王道を行くバカバカしさに満ちたナンセンス・コメディであり、映画の楽しさを教えてくれるカルト作品でもある。また、三輪ひとみの初の主演作品でもある。
作品データを記しておくと、監督は佐々木浩久、アクション監督は熊欣欣、脚本は高橋洋、撮影は喜久村徳章、美術は鈴木清倫、音楽はゲイリー芦屋である。そして出演は、三輪ひとみ、夏川ひじり、由良宜子、吉行由実、栗林知美、下元史朗、阿部寛、大杉漣、鈴木一真、たちである。
連続女子中学生殺人事件の容疑者・倉橋美智夫が失踪。警察と世間は残された家族に向けられ、倉橋家は非難の集中砲火にあう。美智夫の無実を信じる妹・里美は、間宮という霊能者に兄の捜索と事件の調査を依頼した。で、倉橋家にやって来た間宮は降霊の儀式と称して、助手の当麻に母と姉を犯してセックスづけにしてしまう。そんな中、FBIの成本とルーシーが里美の前にやってくる。FBIは間宮たちが恐ろしい陰謀を企んでいるというのだが...
ホラー、サスペンス、コメディ、アクション映画のエッセンスが散りばめられていて、それらがとんでもない方向で絡んでいく。佐々木監督の名前を広く知らしめることにもなった作品でもあり、BS-i作品の一部に繋がる世界がここにある。「ケータイ刑事」はともかく、「スパイ道」や「0093女王陛下の草刈正雄」の世界が理解できるのであれば、見ておきたい作品である。
「武道館ライヴ」:「武道館」と言えば日本各地にあるが、普通は東京千代田区にある「日本武道館」のことを言う。1964年に完成し、東京オリンピックの柔道会場として使われた。以後、日本武道の聖地という感じで、多くの武道大会が行われている。また、1万人以上のキャパ(最大で14471席)があることから、音楽コンサートも多数行われている。また、大学の入学式や卒業式、企業の株主総会会場として使われたり、有名人の葬儀会場として使われる事もある。(例えば、ジャイアント馬場や総理大臣経験者など。)
コンサート会場としての日本武道館の歴史は、1965年の日本フィルハーモニー交響楽団によるコンサートから始まる。翌1966年にはビートルズの来日公演が行われた。'70年代になると、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルがコンサートを行い、それを収録したライヴ・アルバムがリリースされ、「日本武道館」は「Budokan」として世界中にその名前を広めることになった。
1978年には、ボブ・ディラン、チープ・トリックのライヴが行われ、前者は8回の公演が行われ、ライヴ・アルバムが大ヒット、後者のライブ・アルバムは世界中で大ヒットを記録してチープ・トリックは世界的なバンドとなった。また、2008年にはそのライブから30年ということで、'78年のライブを再現した公演が行われたのは記憶に新しいところである。
日本人のライヴも多数行われていて、1971年のザ・タイガースの解散コンサートから始まり、矢沢永吉は武道館で通算100回のライヴを行っている。
「武道館ライヴ」は単なるライヴと違って、一流としてのステータスという意味合いがあって、ミュージシャンに取っては誰もが抱く夢となっている。また、解散コンサートなどのように、アーティストにとっての節目となるライヴが多数行われていることもあって、他の会場とは比べようがない重要な場所である。確かに、キャパの点では各地にあるドーム球場や大阪城ホールの方が上であるが、ステータスとしては「武道館」の方が上である。ただ、最近は実績のない者が事務所やレコード会社、ファンクラブの力を借りて、組織的な大量動員を行って、形の上で武道館ライヴを成功させている者がいるのも、嘆かわしいことであるが、また事実でもある。
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