SSブログ

ケータイ刑事銭形泪29話(2nd.16話)[裏ネタ編]PART 6 [ケータイ刑事]

6回目となる「銭形泪・2nd.16話」(通算では29話)の「ああ、さそり違い ~銭形泪誘拐事件」の「裏ネタ編」は、この物語に出てきた地名とそのオマケです。で、「お台場」について、「白金(しろかね)」について、「三田(みた)」についてと、「Pt・白金(金属)」についてです。尚「お台場」については「・18話[裏ネタ編]PART 1」をはじめ、「・10話[裏ネタ編]PART 3」「・12話[裏ネタ編]PART 3」でも記しているが、またまたの登場(それだけお馴染みの場所である、ということにもなります。が、事件多発場所の赤坂や下北沢とは違いますけど...)で、若干の加筆をしました。

尚、約3年前になるBS-i(当時)のこの物語の再放送時に記した記した記事は「ここをクリック」してご覧下さい。

お台場」:東京港区台場の通称である。この土地は、幕末に幕府が外国船の襲来に備えて設営した砲台(品川台場)があった場所であり、それを地名とした場所である。

・10話1st.」で柴田太郎さんが、劇中でも解説しているが、1853年のペリー来航の際に、開国を迫られた江戸幕府が江戸の町を守るために洋式の海上砲台を建設した場所でもある。1854年の2度目のペリー来航の際にはそれの一部が完成していて、「品川台場」と呼ばれた。この時、幕府に敬意を払って「台場」に「御」の文字を頭に付けて「御台場」と呼ばれるようになり、漢字の「御」の表記がひらがなに変わり、現在では「お台場」と呼ばれるようになった。

明治になると、江戸時代に作られて、海上にあった7つの台場の全てが陸軍省の所管となった。(1878年には海上の7つの台場は芝区に属し、東京府芝区大字品川沖1~7番地となる。)しかし、明治中期に「東京湾要塞」の建設が始まると、台場の重要性は低下することになり、1912年に第四台場が民間に払い下げられたのを皮切りに、順次払い下げられていくこととなった。

戦後、1947年には芝区、麻布区、赤坂区が合併して港区となり、所在地は東京都港区芝品海砲台となる。その後は埋め立て地の拡大によって消滅したりして、1965年には第三台場と第六台場以外は全て消滅した。また、この時に地名が港区港南五丁目となる。1979年には13号埋立地が完成し、その中の北部が「お台場」と呼ばれることになる。その後、臨海副都心構想によって再開発されることになり、1993年には港区芝浦とを結ぶレインボー・ブリッジが開通し、交通の便が一段と良くなり、1996年には新たに港区台場が成立した。(この時、第三台場と第六台場の地名は港区港南五丁目から港区台場一丁目に変更された。)その後、フジテレビが移転(1997年)したり、商業施設が作られたり、公共交通機関(りんかい線)が2002年に全線開通したりして、開発が進んでいった。

尚、「・9話」が収録されたヴィーナスフォートはお台場にあり、何かと「ケータイ刑事」とは関係のある場所でもある。

白金(しろかね)」:わざわざ「(しろかね)」と記したのは、東京都港区の地名であるためである。名古屋市昭和区にも「白金」という地名がある。(但し、こちらは「しらかね」と読む。→こちらも簡単に記しておきます。)

東京都港区の「白金」は、現在は白金一丁目から六丁目がある。が。ミナミに隣接する「白銀台」ほ含めて「白金」と呼ばれることもある。この地名は、「しろかね」と読むのが正しい(正式な地名や鉄道駅でも「しろかね」と読む。)のだが、「しろがね」という呼び方も一般的に行われている。これは「白金」というと「はっきん・プラチナ」のことを一般的に指していて、これは「しろがね」と読むのが正しく、これが混同されている。

歴史を紐解くと、応永年間(14世紀末から15世紀初頭、室町時代である。→ちなみに「応永」という年号は、「昭和」「明治」に次いで3番目に長い元号であって、35年まである。「昭和」と「明治」は一世一元制の元での元号であるため、それまでの元号では最も長かったことになる。また、応永年間の天皇は2人いて、鹿苑寺金閣(金閣寺)が完成したり、応仁の乱のあった時代である。)に柳下上総介がこの土地を開墾して、白金村が出来たのが始まりである。柳下上総介は大量の銀を保有していて、当時は銀のことを「白銀(しろかね)」と呼んだことから「白金長者」と呼ばれ、それが村の名前になった。(中には「白金村」ではなく「白銀村」という用に記された文献もある。)

江戸時代初期に、現在の白銀台が白金村から分離、明治に東京府が出来ると、そこに帰属する。その後、周囲の村を合併した白金村は、1889年の東京市の成立で、芝区に編入される。(東京市芝区白金村。)1947年に芝区が赤坂区、麻布区と合併して港区になり、「芝白金」となり、1969年に住居表示が行われて、「港区白金」となり、現在に至っている。

名古屋市昭和区の「白金」は、現在一丁目から三丁目がある。この地名は「しらかね」と読むのが正しい。鶴舞公園のある昭和区鶴舞の南側にあり、都心に近く、都市基盤も整備されている所でもある。

東京の「白金(しろかね)」も、名古屋の「白金(しらかね)」も、都心に近い位置にあり、都市基盤の整備されている所が同じであるが、これは読み方は異なるものの、同じ表記をすることから、何か関係があるのでしょうかね???

三田(みた)」:わざわざ「(みた)」と記したのは、東京都の地名であるためである。兵庫県には「三田」という地名がある。(兵庫県三田市。但し、こちらは「さんだ」と読む。→こちらも簡単に記しておきます。)とは言っても、東京都港区と東京都目黒区にある地名である。

東京都港区の「三田」は、現在は三田一丁目から五丁目がある。都心に近いが、慶應義塾大学がある文教地区である。また、いくつかの外国大使館もある。

歴史を紐解くと、13世紀の戦国時代に荏原郡三田郷として成立したという文献がある。これが元になって江戸時代に三田村が誕生し、荏原郡に所属する。ことになる。三田村にはやがて商家が集まるようになり、発展していき、町奉行支配となる。明治になると東京府が成立して、そこに属することになる。1878年に芝区と麻布区が出来るが、この時に三田地区の町と三田村の大半は芝区に、その一部は麻布区に属することになる。また、三田村としてそのまま残っている所(現在の目黒区三田)は1889年に隣接する荏原郡目黒村に編入される。1947年に芝区、麻布区、赤坂区の合併によって港区になると、地名が「芝三田」となる。1967年に住居表示が実施されて「港区三田」となる。この時、「港区高輪」となった所もある。更に1969年の住居表示では三田老増町が「港区白金」となった。

東京都目黒区の「三田」は、元々は三田村の一部であった所であるが、1878年に芝区と麻布区が出来た時に、そちらに編入されず、三田村として残り、1889年に隣接する荏原郡目黒村に編入された所である。そのため、元は同じ「三田村」であるが、現在では全く関係ない場所のように扱われている。また、このには現在、恵比寿ガーデンプレイスや目黒清掃工場があり、港区三田とはイメージも完全に違っている。また、山手線の目黒と恵比寿の間に位置している。

「目黒と恵比寿の間」と言うと、1979年に狩人が歌ってヒットした『アメリカ橋』が思い出されるが、この曲で歌われている「目黒と恵比寿の間にある」「下を山手線ゴーゴー走る」「鉄でできた青い橋」というのは、残念ながら目黒区三田にある橋ではない。(「三田橋」という橋が山手線の上にあるが、「アメリカ橋」は三田橋から更に恵比寿駅の方に行った所にあって、渋谷区にあることになる。正式名称は「恵比寿南橋」であるが「アメリカ橋」と呼ばれている。これは1904年のセントルイス万国博覧会で展示されていた鉄橋を、1906年に鉄道作業局(国鉄・JR東日本の前身)が買い取り、鉄製橋のモデル橋として架設したものである。)→名所となる隣という場所でした。

兵庫県の「三田」は、兵庫県三田市は、一時期は人口増加率が日本一にもなった郊外の田園都市である。それまでは農村であったが、1980年代になってからの大規模住宅団地の開発進み、更にJR福知山線の複線電化によって交通の便が良くなったことで、大阪や神戸の衛星都市として急激な発展を遂げた。(そのため、1988年から1997年は人口増加率が日本一になった。)

ニュータウンとして近年開発された土地であるが、歴史は古く、約2万5千年前の遺跡である溝口遺跡からは、ナイフ形石器、石鏃などが発掘されており、有鼻遺跡、平方遺跡は弥生時代中期の遺跡として知られていて、ここからは畿内最古の鉄剣、鉄斧などの鉄器類、更には竪穴式住居跡などが発掘されている。つまり、はるか昔から人々がこの地で生活していたことが分かる土地である。

その後も、日本最古の神社とされている大和国一ノ宮・大神神社の荘園となり、この頃から「三田」と呼ばれるようになる。地名の由来は、この地に建立された金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内から「当地一帯を松山の庄と号す。これを金心寺三福田により三田と改む」という文字が発見され、これに由来している。尚、ここで言う「三福田」とは、「敬田(人を敬う心の田)」「恩田(恩を忘れない心の田)」「悲田(困っている人を助ける心の田)」の3つのこととされている。

室町時代には、播磨国守護・赤松則村の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城し、城下町として発展する。更に三田藩(さんだはん)となり、明治の廃藩置県では三田県となる。(その後、兵庫県に編入される。)または三田町として有馬郡の中核的な町となるが、1958年に三田市となる。1960年代終盤に、多摩ニュータウンや千里ニュータウンの反省点を踏まえたニュータウン計画が発表され、80年代になって入居が始まり、現在のようにベッドタウンとして発展していくことになった。

港区三田、目黒区三田、三田市の間では、特に共通点もなく、全く違った形で発展してきたが、先の「白金」のように同じような環境の土地と、「三田」のように全く異なる環境の土地同じ名前の知名が1つの物語の中で登場するというのは「ケータイ刑事」の面白い所である。

Pt・白金(金属)」:「はっきん」と読む。英語では「Platinum」、日本語では「プラチナ」と呼ばれることもある。金属元素の1つであり、原子番号は78、元素記号は「Pt」であり、貴金属の一つである。色は灰白色で、鮮明な光沢を持っている。

物理的な特製は、遷移金属に分類され、原子量は195.08、比重は21.56、融点は1772゜C、沸点は3827゜Cである。また、展性、延性に富んでいる。化学的にも安定していて、王水と苛性アルカリには解けるが、それ以外の酸には解けないため、重要な金属材料として幅広く利用されている。また、触媒としても用途は広く、「白金懐炉」の触媒として広く利用されている。

人類が白金を使っていたのは、古代エジプト第18王朝の時代に、ファラオの装身具として利用されていたらしいとされている。紀元前の時代から利用されているが、その後、南米でも装身具として利用されていたことが分かっている。

スペインが南米を侵略した際、銀と勘違いされてヨーロッパに入るが、銀ではないため、銀の加工設備が全く使えず、破棄されることとなった、その後、1735年、スペインの海軍将校が再び南米・コロンビアで銀に似た白い金属を発見し、本国に報告を行い、改めて利用されることになる。

プラチナはレアメタルでもあるため、入手が困難なもの、貴重なものの例えとして。「プラチナ○○」と呼ばれるようになった。

現在、白金の利用は、宝飾品、電極、るつぼ、などがある。また、キログラム原器とメートル原器にも白金は使われている。(2つの原器とも、白金が90%、イリジウムが10%の合金である。)更に、触媒としては、自動車の排気ガス浄化触媒、水素化反応の触媒、白金懐炉の発熱触媒、などに利用されている。

身近なものとしては、万年筆のペン先があり、白金懐炉とともに、これは身の回りにあるものの一つとしてはポピュラーなものとなっている。

白金の主な産出国は、南アフリカ共和国であって、世界の3/4が南アで産出される。次いで、ロシア産が多く、世界の約1/6。(この2ヶ国で90%を産出している。)それ以外では、カナダ、ジンバブエ、アメリカ、コロンビアと続いていて、日本でも僅かながら埋蔵されていることが分かっている。→レアメタルであるだけに、これは有効に活用しないといけません。

 

ケータイ刑事 銭形泪 DVD-BOX 3

ケータイ刑事 銭形泪 DVD-BOX 3

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • メディア: DVD

お台場 品川台場の設計・構造・機能

お台場 品川台場の設計・構造・機能

  • 作者: 淺川 道夫
  • 出版社/メーカー: 錦正社
  • 発売日: 2009/06/11
  • メディア: 単行本

るるぶ東京舞浜お台場横浜 (るるぶ情報版 関東 9)

るるぶ東京舞浜お台場横浜 (るるぶ情報版 関東 9)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ジェイティビィパブリッシング
  • 発売日: 2009/06/26
  • メディア: ムック

お台場物語―まちが生まれるまで

お台場物語―まちが生まれるまで

  • 作者: 武藤 吉夫
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本

2009東京ドリフトinお台場 on Saturday

2009東京ドリフトinお台場 on Saturday

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 三栄書房
  • 発売日: 2009/07/07
  • メディア: DVD-ROM

白金の歴史 (1983年)

  • 作者: 森崎 次郎
  • 出版社/メーカー: 港区史跡の会
  • 発売日: 1983/11
  • メディア: -

港区の文化財〈第10集〉高輪・白金 (1974年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東京都港区教育委員会
  • 発売日: 1974
  • メディア: -

三田市―北摂・北神ニュータウン (エアリアマップ―都市地図)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 昭文社
  • 発売日: 1989/07
  • メディア: 単行本

港区の文化財〈第11集〉三田と芝 (1975年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東京都港区教育委員会
  • 発売日: 1975
  • メディア: -

東京10000歩ウォーキング 9 港区 三田・麻布十番コース

東京10000歩ウォーキング 9 港区 三田・麻布十番コース

  • 作者: 籠谷 典子
  • 出版社/メーカー: 明治書院
  • 発売日: 2006/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

三田市史 (1960年)

  • 作者: 中谷 一正
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1960/01
  • メディア: -

 

プラチナとその同族金属の歴史 (1983年)

  • 作者: レスリー・B.ハント
  • 出版社/メーカー: 田中貴金属工業
  • 発売日: 1983/09
  • メディア: -

 

奇跡の貴金属プラチナ (1985年)

  • 作者: 肥塚 文博
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 1985/02
  • メディア: -


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。