ケータイ刑事銭形雷21話[裏ネタ編]PART 8 [ケータイ刑事]
「銭形雷」の第21話の「レッドカードはあいつだ! ~フットサン殺人事件」についての「裏ネタ編・増補」は今回限りです。で、劇中に登場したサッカー関係者から、「ペレ」について、「ネッツァー」について、登場人物の元ネタとなった「ボブ・デイビットソン審判」について、「ラモス瑠偉」について、「三浦知良」について記します。
また、BS-iの本放送時に記した記事は2006/5/21付けで、MBSでの放送時に記した[改訂版]は「ここをクリック」(ここにはBS-i本放送時に記した記事へのリンクもあります。)してご覧下さい。
「ペレ」:ブラジルの元サッカー選手である。ブラジルの国民的英雄でもある。本名はエジソン・アランチス・ドゥ・ナシメント、1940/10/23生まれである。14歳でデビューして、1977年の引退までの間に大活躍をしたことから「サッカーの王様」と呼ばれている。(23年間で1363試合に出場し、1281得点を上げた。)また、ワールドカップでは3度の優勝を経験している。
現役引退後はFIFA の大使、フェアプレー委員会で活躍し、更にはユニセフの親善大使を務めたこともある。また、映画出演も果たしており、1981年の映画「勝利への脱出」では出演とサッカーのテクニカル・アドバイザーも務めている。(サッカー・ファンの間では、伝説的な映画となっている。)
1995年には、ブラジルのスポーツ大臣に就任し、ブラジルで初の黒人閣僚となって、1998年までの3年間、大臣として務めている。
ある程度の実績を残した選手は、現役引退後はコーチや監督になることが多いが、彼の場合は現役時代の功績が偉大すぎることもあるため、監督は経験無いことでも知られている。また、ワールドカップの優勝国予想がさっぱり当たらないということでも有名である。(2006年ドイツ大会でようやく優勝国を当てたが、それ以外は優勝予想した国は予選リーグ敗退が多い。)
「ネッツァー」:ドイツ(西ドイツ)の元サッカー選手である。フルネームはギュンター・ネッツァーで、1944/9/14生まれである。'60年代後半から'70年代前半にかけて活躍した選手であって、西ドイツで年間最優秀選手に、1972年と1973年の2年連続して選ばれている。ワールドカップに選手として出場して優勝を1回経験している。
1976年に現役を引退すると、ハンブルガーSVのゼネラルマネージャーとしてチームの強化に努め、'70年代終盤から'80年代初頭のチームの黄金時代を築き上げている。その後、ゼネラルマネージャーを退き、事業やサッカー解説を務めている。
「ボブ・デイビットソン審判」: アメリカのメジャー・リーグの審判員である。1952年生まれである。これまでにも数多くの誤審をしている審判として有名である。
1983年にメジャー・リーグ(ナショナル・リーグ)の審判員となる。1999年に審判を解雇されるが、2005年に復帰している。いくつかの大きな誤審を複数回犯していることでも知られているのだが、この物語の本放送は2006/5/20であったが、その2006年春のWBCでも誤審をしている。(日本-アメリカの試合だったことで、様々な問題をあらわにしたと同時に、日本でも大々的に「誤審」として報道されたため、その名前は広がった。)
WBCでの誤審は2006/3/12のことであっただけに、それから約2ヶ月で放送したということなので、ドラマ製作のスケジュールを考えると、時事ネタとしてはまだ十分新しいところでもありました。
「ラモス瑠偉」:ブラジル出身で、日本に帰化した元サッカー選手である。その後、サッカーの監督のライセンスを取得し、指導者として活動している。生まれは1957年であり、1975年にブラジルでプロ選手となってデビューをする。1977年に来日して読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)に入団し、そこから日本でプレーを続ける。1989年に日本に帰化したため、以後は日本代表としても活躍する。
1998年に現役を引退するが、その時にJリーグ(J1)の最年長出場記録を樹立している。(後に更新されている。)
サッカーを引退した後は、フットサルの日本代表に選ばれて、1999年に国際大会に出場している。その後、選手として完全に引退すると、解説者として、またはタレントとしての活動も行っているが、テクニカル・アドバイザー、コーチ、監督など、指導者としていくつかのチームで歴任している。
「三浦知良」:1967年2月生まれのサッカー選手であり、「キング・カズ」のニックネームを持っている日本を代表する選手である。40歳を過ぎている現在も現役選手であって、現役最年長選手である。(現在はJリーグ(J2)で史上最高齢記録を更新し続けている。)
高校に進学するも、1982年に1年の途中で中退してブラジルに渡る。1986年にブラジルでプロ・サッカー選手となる。その年は出場機会が殆ど無かった。翌年、移籍してチームの優勝に貢献する活躍をして、日本人初という記録をいくつか作る。そして、1990年に日本に戻ってきて、読売クラブに移籍する。1992年にJリーグがスタートすると、ヴェルディ川崎の優勝に貢献する活躍をして、最優秀選手に選ばれた。
1994年に、イタリアのセリエA(ジェノア)に1年契約で期限付移籍して、アジア人初のセリエAプレーヤーとなる。後に日本人選手の渡欧が盛んになるが、これも彼が道を開いたと言って良い。1995年に日本に戻ってくる。
1999年にはクロアチアのチーム(ザグレブ)に移籍するが、1年で帰国。以後はJリーグで数チームを渡り歩き、2005年暮れに、オーストラリアのチームに期限付き移籍している。2006年からは横浜FCの所属で、現役の選手として出場し続けている。(2007年は久しぶりにJ1で戦うことになったが、2008年以降はJ2である。)
現在の日本のサッカー人気は彼によって築かれたと言っても過言ではなく、「日本人選手初」ということを数多く実現しており、更に海外のサッカー・リーグを注目させたのも彼が在籍したためである。正に現在の日本サッカー界に於いては、ニックネームの通り、「王様」である。
ただ、2011年のシーズンは44歳でのプレーということになるが、引退したくても引退できないような状態になっているようにも思われる。また、これは筆者の感じるところであるが、現在のJリーグの規定では、選手兼任監督は認められていないが、カズであれば特例ということで選手兼任監督も認められるような気がします。(一旦引退し、監督になった後、彼の人気に乗った集客作戦として、現役復帰をして監督兼任が特別に認められる、という筋書き...→その時には50歳を超えていて、史上最高齢現役選手の記録も更に更新する...)
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