ケータイ刑事銭形零17話(2nd.4話)[裏ネタ編]PART 3 [ケータイ刑事]
「銭形零」の第17話(2nd.4話)「おっちょこちょいなミステイク ~放送事故殺人事件」の「裏ネタ編」の2回目の増補となる今回は、冒頭で零ちゃんがこれの名簿を見ていたことから「行方不明者」について、「名簿」について、その名簿はこの年のものだったことから「1989年」について、五代さんはその年にこれが崩壊したと言ったことから「ベルリンの壁」について、またこれを読んでいたことから「漫画」について記します。尚、「行方不明者」は「泪・39話(2nd.26話・AS3話)[裏ネタ編]PART 11」で「行方不明」として記したものを、「ベルリンの壁」は「愛・21話[裏ネタ編]PART 1」で記したものをベースとして、それぞれ加筆しました。
また、この物語について過去に記した記事(BS-i(当時)の再放送時に記した[改訂版])は「ここをクリック」してご覧下さい。(この物語についての過去に記した裏ネタ編は2008/3/27付です。)
「行方不明者」:「行方不明」とは、何処に行ったのか分からなくなること、または安否が分からなくなることをいう。(災害が起こった時、所在、または安否が分からなくなった状態のことをいう。)「行方不明者」とは、行方不明という状況になっている人のことを言う。
尚、類義語として「失踪」/「失踪者」という言葉があるが、この言葉は「行方不明」/「行方不明者」の上位概念となる言葉である。「行方不明」/「行方不明者」は本人の意思に関係なく、意図せずに何処に行ったのか分からなくなった場合/人のことを指すが、「失踪」/「失踪者」の場合は、家出や夜逃げなどのように、本人の意思によって意図的に行方をくらました場合/人を含んでいる。(本人の意思の有無の両者を含んでいる。)但し、一般的には、「行方不明」は本人の意思に関係ない場合を指し、「失踪」は本人が意図的に行方をくらました場合を指している。
災害が起こった場合、行方が分からなくなった人は全て「行方不明者」になるが、時間の経過によって、不幸にも遺体となって発見されたり、無事に戻ってくることで「行方不明者」の数は減少していき、最終的には行方不明者は0になるのが基本である。が、災害の種類(例えば津波に呑み込まれて海に流されたりした場合など)によっては、遺体が発見されないこともあって、死亡確認ができないという人もいる。この場合は「行方不明者」が0人にはならないが、法的な世界では「行方不明」の状態が長年続いた場合は死亡したとみなされることになる。(「失踪宣言」が行われると、その人は死亡扱いとなる。)ちなみに、その期間とは、法的には「1年」というのが一般的であるが、2011年の東日本大震災では一部でこれが短縮されている。(法律で定めれば短縮することは可能である。)
また、災害以外での「行方不明」になる場合としては、事故に巻き込まれた場合(例えば、海難事故、航空機事故)で所在が分からなくなった場合、山で遭難した場合、事件に巻き込まれ、誘拐されて連れ去られた場合(拉致された場合)などがある。
英語では「Missing Person」、ドイツ語では「Danebengehen von Person」、フランス語では「Personne Manquante」、イタリア語では「Persona Dispersa」、スペイン語では「Persona Perdida」、ポルトガル語では「Pessoa Desaparecida」、中国語では「失踪者」と言う。
「名簿」:或る条件に該当する人の名前を中心にした帳簿、リストのことである。名前を中心としているのは、名前を記すことが前提であり、名前によって区別するためである。名前以外の項目としては、住所、電話番号、メールアドレスなどが記されている。
身近なものとしては、学校の出席簿、サークルの会員名簿、同窓会名簿などである。また、個人が使用している住所録、電話帳なども名簿の仲間である。(当然、電話局が発酵している電話帳も動揺である。)
この物語では、「行方不明者」という条件の名簿ということだったが、このように特定の条件を満たす人という名簿の例としては、企業や商店の顧客リストなどがある。
英語では「List」、ドイツ語、フランス語では「Liste」(但し、発音は異なる。)、イタリア語では「Elenco」、スペイン語、ポルトガル語では「Lista」(但し、発音は異なる。)、中国語では「名簿」と言う。
「1989年」:日曜日から始まる平年である。元号を使用している国では、日本では昭和64年であり、かつ、平成元年である。(1/7までが昭和64年で、1/8以降が平成元年である。)また、皇紀2649年でもある。また、中華民国暦では78年、大韓民国では大韓民国71年、朝鮮では檀紀4322年、北朝鮮では主体78年である。また、干支は「己巳(つちのと-み)」である。
この年は、日本では平成に変わった年であり、世界では東西冷戦の終結した年であり、世界が大きく変わった年でもある。特に東西冷戦の終結で東欧で革命が相次ぎ、ヨーロッパの勢力図が大きく変わったことから、この年以降が「現代欧州」ということになっている。
それ以外では、ソ連がアフガニスタンからの撤退が完了し、中国では天安門事件が起こり、ビルマの軍事政権が国名を「ミャンマー」に変更し、ポーランドで自由選挙が実施され、ハンガリー人民共和国が崩壊してハンガリー共和国になり、ベルリンの壁が崩壊、チェコスロバキアのビロード革命が起こり、ルーマニアではチャウシェスク(独裁)政権が崩壊し、ブッシュ・アメリカ大統領と、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が冷戦終結を宣言している。(正に、東欧を中心に、共産主義国家が次々と崩壊した激変の年でした。)
一方、日本では、昭和天皇の崩御、消費税(3%)の導入、竹下首相退陣、宇野首相が2ヶ月少しで退陣して海部首相が誕生し、一年で内閣が2回変わった、連合(日本労働組合総連合会)が発足、NHKのBS-1、2が本放送を開始、FM802、bayfmの開局で民放FMの本格的な多極化時代のスタート、横浜ベイブリッジ開通などがあった。また、バブル景気のピークを迎え、ソニーがコロムビア映画を買収したり、三菱地所がロックフェラー・グループを買収し、株価は市場最高値を記録した。(1990年から株価は下落していった。)
また、この年に亡くなった主な有名人としては、昭和天皇、漫画家の手塚治虫、田河水泡、歌手の美空ひばり、作曲家の古関裕而、渡辺岳夫、俳優の松田優作、大坂志郎、南廣、殿山泰司、浦辺粂子、ローレンス・オリヴィエ、リー・ヴァン・クリーフ、声優のつかせのりこ、映画監督のセルジオ・レオーネ、実業家の松下幸之助、という人たちがいる。
「ベルリンの壁」:ドイツ・ベルリンにかつて存在した東ベルリンと西ベルリンを隔てる壁である。東西冷戦時には、東西分断の象徴となっていたものである。
西ベルリンは東ドイツ領内にあり、西ドイツの飛地であった。しかし、西ベルリンと西ドイツ本国とは飛行機などで結ばれていて自由に行き来が出来た。また、東西ベルリンの間は、市民は自由に往来可能であった。(実際、東ベルリンに住み、西ベルリンで働いていた人はある程度いた。)しかし、東西の経済格差は大きく、西ベルリン、更には西ドイツの方が裕福であった。そして東ベルリンから西ベルリンへの若年労働者の亡命が止まらなくなったことから、1961/8/13、(当時の)東ドイツ政府が、突如西ベルリンに通じる68本の道の全て封鎖して、有刺鉄線による壁を築き始めたのが最初である。そして直ぐに石造り、コンクリート造りの壁が建設された。壁の高さは4m、総延長は156kmに達した。そして、1989/11/9まで、東西冷戦の象徴として存在することになる。東ドイツ崩壊後に東ドイツによって撤去されたが、歴史的な意味のある建造物であることから、ほんの一部分のみが記念碑として残されているだけになっている。
ベルリンの壁を超えることは、生きては不可能と言われたことから、「決して越えることの出来ない障害」「永久に無くなることのない大きな障害」ということの例えとして使われるようになった。(「永遠に無くならない」とされていたが、東ドイツという国家がバックにあってという条件が前提になっているため、言葉としては「永久」の方が正しい使い方である。→実際、東ドイツという国家が崩壊すると無くなった。)
1961年当時、東ベルリンはソ連の占領下で、西ベルリンは米英仏の占領下であった。(西ベルリンは、周囲が東ドイツに囲まれていた。)が、西側諸国の方が裕福な生活が出来たことから、東ドイツの人々は、東ベルリンから西ベルリンに入り、そして西ドイツ(本国)に流れる人が増えていくことになった。高齢者(年金受給者)の脱出であれば、年金支払い負担が減ることになるため、東ドイツは歓迎したが、若年労働者の場合は労働力の減少になることから特に問題視した。そして、東ドイツ国民を西ベルリン経由で西ドイツに入れることを防ぐ目的で建設されたものである。そのため、壁は西ベルリンを取り囲むように建設された。
壁は二重になっていて、2つの壁の間には数十mの緩衝地帯があった。(緩衝地帯は厳重に監視されていた。)そのため、壁を乗り越えて東から西に行こうとすると、壁を超え、緩衝地帯を越え、更に2つ目の壁を超えなければならなかった。特に厳重な監視体制が取られていた緩衝地帯では、そこで発見されると直ちに射殺されるということが行われていた。(犠牲者は192人に上っている。)そのため、東ドイツ政府の思惑通りの役割を果たしていた。
しかし、'80's後半の東欧諸国の市民革命の波は東ドイツにも訪れていき、ハンガリーがオーストリアとの国境を開放すると、東ドイツ国民はハンガリーを経由してのオーストリアに流れ、更に西側へ行くという越境ルートが出来ることになった。このニュースが次々と東ドイツ国民を更にかき立てることになり、東ドイツ国民はハンガリーを経由することになるものの、東ドイツを出ることが可能になった。そのため、ベルリンの壁は有名無実化した。そして東ドイツ政府は人材流出を防ぐため、海外旅行自由化法案を発表した。しかしこれは完全な「自由」ではなくて制限があったため、国民が反発した。それに手が加えられて旅行自由化の政令案が可決、公布、施行されると、法的にベルリンの壁は実行を失った。そして、1989/11/10になって、東西ベルリンの市民が歓喜の中、壁(の一部)を破壊した。(物理的な壁の崩壊。)その後は東西ドイツの統一へ加速していくことになった。
英語、ドイツ語では「Berliner Mauer」(但し発音は異なる。)、フランス語では「Mur de Berlin」、イタリア語では「Muro di Berlino」、スペイン語では「Muro de Berlín 」、ポルトガル語では「Muro de Berlim」、中国語では「柏林圍牆」と言う。
「漫画」:「マンガ」というようにカタカナ表記をすることもある。複数の絵を連ね、それに台詞を文字で添えて表現した物語のことである。または、1つの絵を滑稽に、または誇張して描写した絵であり、笑いのため、または風刺のために記された絵のことである。
尚、前者の場合は「コミック」と言うこともあって、その場合は長編マンガを指すのが一般的である。前者でも、4コマで起承転結という形で構成した、所謂「四コマ漫画」と呼ばれるものもある。一方、後者の場合「挿し絵」と呼ばれることもある。
ややこしい話であるが、「マンガ」と表記すると、一般的に複数の絵を連ねたものであって、何らかの物語になっているものを指し、「漫画」と漢字表記をすると、1コマで描かれた風刺ものや四コマ漫画のように少ない絵で構成されたものを指す傾向がある。
英語、イタリア語では「Comics」(但し、発音は異なる。)、ドイツ語では「Komiker」、フランス語では「Comiques」、スペイン語では「Historietas」、ポルトガル語では「Cômicos」、中国語では「漫画」と言う。
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