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「DIE MARPUISE VON O...」 [映画(洋画)]

表題の作品は1975年のフランスと西ドイツの合作映画映画「O侯爵夫人」である。日本での劇場公開は1996年ということで、製作から20年は未公開状態であった。(ビデオやLDでリリースされていた。)ドイツのロマン派を代表する作家・ハインリッヒ・フォン・クライストの原作短編小説の映画化作品である。また、原作に忠実な作品として知られている。

作品データを記しておくと、時間は103分、原作ハハインリッヒ・フォン・クライスト、監督と脚本はエリック・ロメール、撮影はネストール・アルメンドロス、美術はロカ・フォン・メレンドルフ、音楽はロジェ・デルモットである。そして出演は、エディット・クレヴェール、ブルーノ・ガンツ、エディット・クレヴェール、エダ・セイペル、ペーター・リューア、オットー・ザンダー、エドゥアルド・ランカーズ、ルース・ドレゼル、ベルンハルト・フレイ、たちである。尚、本作は1976年のイギリス・アカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞し、カンヌ国際映画祭で審査委員特別賞を受賞している。(パルム・ドールはノミネートされていたが受賞出来なかった。)

フランス革命直後のイタリア北部のM市。そこで発行されている新聞に奇妙な広告が出た。未亡人のO侯爵婦人が、身に覚えのない妊娠をしたため、その父親に名乗り出て欲しいという内容の広告だった。その数ヶ月前、この地はロシアとの戦争で、要塞が陥落した。その時、司令官の大佐の娘・O侯爵婦人は兵士たちに襲われそうになったが、それをロシア軍の伯爵に助けられた。O侯爵婦人は伯爵によって安全な場所で保護された。そして大佐の名誉は守られて、大佐と妻、息子、O侯爵夫人は街中の屋敷に移った。それからまもなく、伯爵が結婚を申し込みに訪れた。O侯爵夫人は、夫の死後男とは関わらない決心を固めていたため、時間を稼ごうとした。伯爵は回答を得られないまま、公用のためにナポリに旅立つ。そして、その間にO侯爵夫人に妊娠の兆候が現れたのだった。全く身に覚えのなかった彼女は当惑するが、大佐は一家の恥となった娘を屋敷から追い出してしまい、彼女は郊外の別荘に引き籠もることになった。伯爵がナポリから戻ってきて、事情を知ると、別荘に行き、改めて求婚したが、彼女はそれを拒絶した。で、彼女は新聞広告を出したのだった。その翌週、侯爵夫人は、子供の父から3日の日に大佐の屋敷に名乗り出るという広告を出した。娘の不倫が信じられない母親は別荘を訪ねて娘を窘めると、無実を信じて屋敷に向かえ、大佐を説得し、大佐も認めた。そしていよいよその日が来た。名乗り出たのは伯爵だった。伯爵は、要塞が陥落したあとで侯爵夫人を救ったが、その夜、彼女が眠っている間に関係を持ったのだった。O侯爵夫人は名乗り出た男と結婚するつもりだったが、それがロシアの伯爵だったことで、激しく拒絶した。しかし、両親が間に入り、何とか形だけは結婚することを承諾した。その後、彼女は子供を産み、洗礼式を終えた。数日後、屋敷を訪れた伯爵に、侯爵夫人はずっと彼を愛していたことを告げたのだった。その後、彼女はロシアの血を引く子供をたくさん産んだのだった。

ロメール監督の傑作として知られている本作の魅力は、何と言ってもライティングの妙である。昼のシーンは太陽光だけを使い、夜のシーンは蝋燭の灯のみを使っているということで、余りにも自然すぎるその映像が美しすぎる。(夜のシーンはそのため暗いということもありますが...)これを見るだけでも十二分の価値のある作品である。

また、原作に忠実に話を進めていったというのも良い所であって、彼の作品としては珍しいということになるが、本作は是非ともチェックしておきたい所である。

 

↓原作小説はこちら

O侯爵夫人―他六篇 (岩波文庫 赤 416-4)

  • 作者: クライスト
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1951/08/25
  • メディア: 文庫


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